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1/5(金)キャプテンの一言

▼あけましておめでとうございます。ラジオ大阪をお聞き
の皆様、「News Tonight いいおとな」ファンの皆様に
とって良い2018年でありますよう、心からお祈り申し上
げます。今年もお付き合い下さいますようお願い致します。

▼元日は去年と同じ茨木神社に初詣に出かけた。今回
は時間を少しずらしたせいか、30分弱の待ち時間で参拝
することができた。ただ行列の後ろを振り返るとそれなり
に長い列ができていたので、たまたまラッキーだったみたい。
茨木神社は大同2年(807年)坂上田村麻呂が天石門別
神社(あめのいわとわけじんじゃ)として創建したとされて
いる。時に田村麻呂50歳だった。すでに清水寺や富士山
本宮浅間大社などを創建したとされているのであながち
荒唐無稽とはいえない。このあと藤原薬子と仲成兄弟
(式家)による「薬子の変」で嵯峨天皇側について平城
(へいぜい)上皇逃亡を阻止する働きをしている。その8か
月後に54歳で亡くなっている。病死とみられている。坂上
田村麻呂といえば誰でも思い浮かぶのは征夷大将軍だろう。
40歳の時に蝦夷征伐を命じられ征夷大将軍に初めて
就いている。どうも太平洋側から東北を攻める総大将に
「征夷」が使われたようだ。九州攻めでは鎮西将軍となる。
因みに日本海側から東北を攻めるには鎮荻(正しくは荻の
字の竹冠がないものでテキと読む)将軍で中華思想による
もの。実は中華思想では日本は「東夷」と呼ばれていた。
邪馬台国が出てくる魏志倭人伝は正しくは三国志魏志東
夷伝倭人条となる。皮肉なものだが、平安時代初期の
桓武天皇は東北地方を東夷の国と見ていたということに
なる。征夷大将軍といえば坂上田村麻呂が初代と思われ
がちだが、田村麻呂が副使だった延暦12年から13年に
かけて正使だった大伴弟麻呂が初めて征夷大将軍と
呼ばれた。似た名前は和銅2年(709年)に巨勢麻呂
(こせのまろ)が鎮東将軍と呼ばれたのが初のようだ。

▼勝利に付き物は美酒。あす6日はJRAの2018年幕開
けレース「金杯」が東西で行われる。金杯といえば5日と
いうように刷り込まれていたが、10年ぶりに移動した。
そのおかげで平日でなく土曜日になったことで今年は
京都競馬場に行くことができる。以前(7年くらい前)までは
仕事と称して出かけていたので、何も気にすることなく当然
のように行っていたが、久しぶりの初日の「金杯デー」と
いうことでワクワクする。しかし競馬にはお金がかかるので
楽しむためには馬券を的中させることが必須条件。金杯を
当てることに越したことはないが、ごのレースでプラスに
するかは問題ではない。それでも前日から検討してどの
馬を軸にするかを決める必要がある。東西ともハンデ戦
となっており、京都では芝1600メートルで行われる。先行
馬有利と思われるのだが、逃げるとみられる8枠12番の
ウインガニオンが57・5キロとトップハンデ、最後の踏ん
張りに影響するとみたい。そこで重賞勝ち(GⅡローズS)
がある2枠2番のラビットランを狙いたい。54キロなら自慢
の末脚も切れるだろう。戌年の最初の重賞レースでウサギ
とはどうかと思うが洒落が利いていて、逆に面白いのでは
ないか。中山競馬場では芝2000メートルでこちらも「金杯」。
ここはごこまで強くなるか今後を占う意味でも3枠6番の
セダブリランテスに注目したい。結果次第ではこれからの
GⅠ戦線でも活躍できそうな逸材となる。どうか当たりますように。

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