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2/12(月)キャプテンの一言

▼10日の土曜日、京都競馬場へ行く予定だったので、
行きたかった宇治橋のたもとにある「橋姫神社」に朝早く
から傘を持って参詣した。小さいとは思っていたが、
想像以上に狭く小さかった。橋姫は宇治橋が架けられた
とされる大化2年(646年)にその守り神として今の地
より上流に創建された神社で、橋姫とともに水の神と
される瀬織津姫を祭神としている。橋姫は紫式部の
「源氏物語」(宇治十帖)にも登場する。宇治橋の西詰め
には紫式部の胸像が橋姫神社の法を向いて佇んでいる。
当日はあいにくの小雨模様だったが宇治橋の途中に傘
(ビニール傘)をさして立つと宇治川のかなり激しい流れ
を直接感じてなかなか風情があった。これも歴史に
取りこまれたせいかもしれない。橋姫とともに祀られて
いる瀬織津姫は記紀(古事記と日本書紀)に登場しない
神様だが、同一神と思われる神はいるので、一人の
神様が幾通りにも呼ばれていた大国主命と同じで存在
をあやふやにされたのかもしれない。天照大神の荒魂
としているところもあるという。それでも水に関わる神様
であることは間違いないだろう。

▼また饒速日命(ニギハヤヒノミコト)との関連も指摘
されている。ということは天神地祇のいわゆる国つ神
の可能性も高くなる。素戔嗚尊(スサノオノミコト)と
同族かもしれない。だから天照大神の荒魂に擬されて
しまったのではないか。饒速日命は天照国照彦火
明櫛玉饒速日命(あまてるくにてるひこほあかり
くしたまにぎはやひのみこと)ともいい、実は天照大神
という女神は、この男神を隠すために作られたのでは
ないかとも考えられている節もあるらしい。神武東征
で大阪湾から上陸した時、神武天皇に味方して
激しく抵抗した長髄彦(ナガスネヒコ)を殺したのが
饒速日命といわれているが真実は定かではない。
ただし近畿を神武天皇より先に平定していたのは
間違いなく饒速日命であることは記紀がしっかりと
認めている。それだけ天照大神直系以外の神の
本当の姿を探し出すことは難しい

▼宇治川を挟んだところに「宇治上神社」がある。
元々は宇治神社だったものが上と下に分かれ、
「宇治上神社」の拝殿と本殿は国宝に指定されて
いる。創建については由緒書を見ても不詳とされて
いる。しかし平安時代には後冷泉天皇が行幸
(治暦3年=1067年)した記録があるし、
一間社流造といわれる古い本殿からかなり古いもの
だろう。祭神は応神天皇(中)菟道雅郎子
(ウジノワカイラツコ、左)、仁徳天皇(右)の三神。
父が応神天皇で長兄が仁徳天皇、末弟が
菟道雅郎子という関係になる。応神天皇は
菟道雅郎子を溺愛して皇位を譲ろうとしたが、
天皇の死後、菟道雅郎子は兄を立てて皇位を
譲り合い、3年の空位を経て自殺してしまった。
ここに三神を揃って祀ることで安らかを求めたと
思われる。3人の絆を示すものかどうかは個人
の感覚だが、ここには宇治茶が隆盛を極めた
室町時代から「宇治七名水」というものが生まれ、
宇治上神社の「桐原水(きりはらすい)」もその一つ
に数えられた。現在、ほかの六水はすべて失われて
しまい、残っているのは唯一「桐原水」だけになって
いる。ボクも参拝のための手水として清めさせて
もらった。お茶には使われず古い時代から手水と
して清めの水になっているという。雨に煙る宇治には
時代を超えて何かが住んでいるように思えた。
もちろん宇治抹茶を使ったお菓子も格別な味がした。

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