「がんばろう 1.17」 命の灯


 6434人が亡くなった阪神淡路大震災は17日午前5時46分、発生から26年となった。神戸市中央区の東遊園地で行われた「1.17のつどい」では、竹灯籠に紙灯籠も加わり灯った「がんばろう 1.17」の文字が浮かび上がった…もう26年、まだ26年。
 新型コロナウイルス禍の中、人の密に配慮し「つどい」は前日から始まった。緊急事態宣言下で規模縮小や中止の所や、例年と違う形になった所が…それでも続けること!記憶と教訓を改めて胸に刻んだ。

◆京都・清水寺貫主の揮毫による年の瀬風物詩「今年の漢字」は、阪神大震災の1995年に始まり、「震」…この年は地下鉄サリン事件など重大事件、イチローらが「がんばろうKOBE」を合言葉に神戸が本拠地のプロ野球オリックスが優勝した。そして3月11日に10年となる東日本大震災2011年は「絆」だった。
 被災した方々の高齢化が進み、神戸市民の約半数が震災を経験していない人になっている。文字よりも、現実は厳しく容赦ない。真の「絆」は今も求められている。

◆「つどい」には遺族代表の加賀翠さん(65)が長男の亮さん(20)とともに出席し献花した。コロナ禍のため、亡くなった長女・桜子ちゃん(当時6歳)や犠牲者に向けた「追悼のことば」は会場では朗読されず、神戸市のホームページで公開された。

【追悼のことば】(抜粋)
 震災後程なく、桜子が夢の中に出て来ました…しばしば夢に出て来てくれまし た。それは私にとって非常に幸せな時間でした。
 それがある日、桜子は「ちょっと出かけて来ます。」と言い、夢に出て来なくなりました。それは、2ヶ月ほど続きました。後日、何人もの幼稚園のママ 友から「丁度その間、桜子ちゃんが夢に出て来たよ。」という話を聞きました。また、父が亡くなってから、桜子はほとんど夢に出てくれません。おそらく 「じいちゃん、じいちゃん!」って、父と天国で楽しく過ごしていることでし ょう。
 長い間、私の中での桜子は6歳の姿のままでした。中学生になり背の高くな った桜子の友達を見て、お正月の柳箸を大人用に代えましたが、やっぱり6歳 の姿のまま。12 歳離れた弟が中学生になり私より背が高くなっても、やはり私 の中での桜子は6歳の姿でしかありませんでした。
 それが震災 20 年目のある日、26 歳になった桜子の友達がお子さんを連れて来 られ、桜子の一番の友達も結婚しました。その時、急に私の中で桜子は 26 歳の お姉さんになりました。今生きていたら桜子は 32 歳…また、私が桜子を出産したのは 33 歳でした。桜子も今生きていたらこのような感じで生活しているのかなと思います。
 桜子、そうチビちゃんはとても優しい子だったよね。震災後、幼稚園の先生 から「転校して来た子に最初に声をかけてあげるのはいつも桜子ちゃんだった。」 と聞きました。また、近所の人から「街の太陽だった。ちょっと人の顔が見え たら挨拶して、可愛らしくてね。」と言われました。桜子はいつもにこにこして…だから 私も泣かずに、出来るだけ桜子のような笑顔を心がけています。そして、迷っ た時は桜子だったらどうするかなと考えて決めています。
…今このコロナ禍、天の配剤だと思って、少し立 ち止まってゆっくりするつもりです。だから桜子もじいちゃんと夢に出て来て 下さい。32 才になった姿を見たいです。そして今世界中が大変な時、何卒皆で 私達を見守って下さい…。

◆せめてこの日、起こったこと関わった人を想い出す。そして誰かのために何かを行う…命を見つめ続ける、それが防災減災にもつながる。

今を乗り越え 継なぐ
<2021.1.18 S>