原爆の日 75年 特別な夏

 忘れてはならない日本の熱い夏-被爆から75年、8月6日・広島と8月9日・長崎の「原爆の日」。
 両式典には被爆者や遺族、安倍晋三首相ら政府関係者、海外からも各国・機関代表が参列したが、新型コロナウイルスの感染防止のため、参列者数は例年の10分の1…特別な夏となった。

◆「被爆者健康手帳」を持つ全国の被爆者はピーク時から6割減の約13万6千人となり、平均年齢は83歳を超えた。また、原爆投下時に広島市と長崎市の被爆地域にいた「直接被爆者」も約8万5千人で、30年前から6割以上減少した。
 戦後生まれの割合は8割を超え、被爆の実相を知る人が年々少なくなっていく…高齢化が進む中、記憶をどう伝承していくのか。今年も広島・長崎では、80代の被爆者から若い世代への「語りかけ集会」も行われた。生きる世代、さらに次の世代へ。

◆ 一瞬で命を奪われた人から原爆症で亡くなった人まで、原爆死没者は約50万人に上る。それでも、世界の核弾頭はなお約1万3千発。保有数はロシアと米国で約9割を占める(長崎大核兵器廃絶研究センター推定)。世界の保有数は減少しているが、1発の爆発規模は75年前と比べものにならない。
 大国の論理、人類が犯した大罪。

【広島 平和への誓い(全文)】
 令和2年(2020年)8月6日 
 子ども代表
 広島市立安北小学校6年 長倉菜摘
 広島市立矢野南小学校6年 大森駿佑

 「75年は草木も生えぬ」と言われた広島の町。75年がたった今、広島の町は、人々の活気に満ちあふれ、緑豊かな町になりました。この町で、家族で笑い合い、友達と学校に行き、公園で遊ぶ。気持ちよく明日を迎え、さまざまな人と会う。当たり前の日常が広島の町には広がっています。
 しかし、今年の春は違いました。当たり前だと思っていた日常は、ウイルスの脅威によって奪われたのです。当たり前の日常は、決して当たり前ではないことに気付かされました。そして今、私たちはそれがどれほど幸せかを感じています。
 75年前、一緒に笑い大切な人と過ごす日常が、奪われました。昭和20年(1945年)8月6日午前8時15分。目がくらむまぶしい光。耳にこびりつく大きな音。人間が人間の姿を失い、無残に焼け死んでいく。町を包む魚が腐ったような何とも言い難い悪臭。血に染まった無残な光景の広島を、原子爆弾はつくったのです。
 「あのようなことは二度と起きてはならない」広島の町を復興させた被爆者の力強い言葉は、私たちの心にずっと生き続けます。人間の手によって作られた核兵器をなくすのに必要なのは、私たち人間の意思です。私たちの未来に、核兵器は必要ありません。
 私たちは、互いに認め合う優しい心を持ち続けます。私たちは、相手の思いに寄り添い、笑顔で暮らせる平和な未来を築きます。 被爆地広島で育つ私たちは、当時の人々が諦めずつないでくださった希望を未来へとつないでいきます。
 
◆日本の盆そして墓参、ふるさとの絆…感染防止策をとり3密を避け、筆者は静かに行きたい。
 核家族が進み、身近な人の死に立ち会うことも減っていく子どもだち。また、かつては地域の大人たちも叱り教育した。学校で教壇で「命を大切に」と語るよりも、法事に顔を出すことの方が”命の重み”が伝わるのではないか。
 長い闘いのコロナ禍、苦しい時。リモートなど先端技術を活用した新しい生活、大事な事だ。一方で人は、ふれあいの中での社会的生き物…今生きていることへの感謝、忘れてはならない。
 
 8月15日「終戦の日」へ、日本の熱い夏は続く。

変わらぬ命 つなぐ
<2020.8.10 S>