命の民主化 李登輝元総統

 97歳で死去した台湾の李登輝元総統の追悼会場、炎天下に市民が長蛇の列を作り、遺影に花を手向けた(8月1日)。

 李元総統は日本統治時代の1923(大正12)年、台湾生まれ。旧制台北高から京都帝大(現京大)に進み、学徒出陣を経て、旧日本軍の陸軍少尉の立場で終戦を迎えた。
 自ら「私は22歳まで日本人だった」と語り、流暢な日本語で日本の人々にも親しまれた姿は記憶に新しい。現実的に、日本人の良さも悪さも知り尽くしたとも言える。
 
 ◆「民主化の父」。戦後の台湾を独裁支配した中国大陸の国民党政権を、6回の憲法改正などで内側から改革。初の台湾人総統として、確固たる姿勢で中国と対峙した。
 もう一つ忘れてはいけない。国民党政権が戦後行ってきた反日教育をやめさせたのは、2000年まで12年間、李総統時代だ。日本統治時代の台湾で進んだ教育制度や衛生観念の普及、インフラ整備といった史実を再評価し新たな歴史教科書を編纂、教育改革も行った。日本こそが見習いたい。

◆ 「街道をゆく・台湾紀行」取材などで親交があった作家の司馬遼太郎。義弟で司馬遼太郎記念館(大阪府東大阪市)の上村洋行館長は「歴史に残る大きな存在を失った寂しさを感じます」と悼んだ。 司馬さんと李元総統は、ともに大正12(1923)年生まれ。学生時代は同時期に学徒出陣を経験するなどの共通点もあった。
 李元総統は16年末から来日した際、京都市内にある司馬さんの墓を訪れたという。上村館長は「わざわざ立ち寄ってお墓参りをしてくださったそうです。情の深い、人間の大きな方だと思いました」と話した。
 日本は台湾断交など、時として台湾を失望させた。こう記している「惜しいが、日本の政治家には武士道精神が欠けていた」(李登輝実録)。日本人が忘れかけている「義と情」の人だった。

◆奇しくも死去の速報が入ったのは、筆者が1週間前に古本屋でふと手にとった「千の風になったあなたへ贈る手紙」を読んでいるときだった。李元総統は、この歌「千の風になって」が好きだったという…台湾内外で様々な所で、この歌が流れ悼んだ。

◆「尖閣諸島は、そもそも日本の領土」と明言した李元総統。中国大陸や台湾当局は「尖閣諸島は台湾の一部だ」と主張する中、批判を受けようとも信念の持論を堅持し続けた。アジア民主主義の政治リーダーとして強い存在感を示してきただけに、「李登輝なき台湾」さらに「アジアの行方」が気になる。

◆コロナ禍。方向定まらぬ政治、利優先に揺れる経済、自虐史観くすぶる教育…日本の誇りは。
 台湾の”千の風”に多くを学び、いま心に留めなければならないのは、日本ではないか。

信念貫いた アジアの”巨星”
<2020.8.4 S>