阪神大震災25年 1人じゃない

 6434人が亡くなった阪神大震災は17日、発生から25年となった。神戸市中央区の東遊園地で行われた「1.17のつどい」では、早朝から竹灯籠など約6千本が灯され「きざむ 1.17」の文字が浮かび上がった。発生時刻の午前5時46分に各所で追悼行事が行われ祈りは夜まで続いた…もう25年なのか、まだ25年なのか。

◆あの日揺れの中、足を踏ん張りながら妻子の部屋へ。1歳の長男は、妻が覆いかぶさるように守る下でミルクを飲みながら揺れていた。横で熟睡していた3歳前の長女は目覚め「あーよく寝た」…救われた思いになった。
 大きな被害がないことを確認し社へ向かった。新聞社編集局選挙本部勤務で、たまたま朝出勤だった。電車は全面ストップ、隣駅のタクシー乗り場は長蛇の列。運良く社契約のタクシーに乗れたが、都心梅田に近づくほど渋滞でまったく進まない。途中から歩き、結局着いたのは数時間後。この時緊急車両も動けなくなり、後に国民の認識とともに法改正もされた。
 やっと社に上がれば「よく来た。よしっ1ページ増やそう!」…出社できない記者もいた。号外、夕刊製作で騒然とした編集局。亡くなった人の数が信じられない速さで増えていく。そして阪神高速道路の倒壊写真に愕然とした。そのまま朝刊態勢へ…どう紙面をつくったのか、何日後に帰宅したのか覚えていない。ただ伝えなければ、の思いだった。

◆1995年は激動の年でもあった。
 地下鉄サリン事件、大リーグドジャース・野茂英雄投手が新人王、沖縄米兵の少女暴行事件…統一地方選挙は神戸を中心に多くで実施できず、期日をずらして行われ”震災選挙”と言われた。そして神戸が本拠地のプロ野球オリックスが優勝。仰木彬監督、イチローらが「がんばろうKOBE」を合言葉にパ・リーグを制覇、市民に勇気を与えてくれた。

◆各所の追悼式典で、遺族代表が言葉を述べた(以下抜粋)。
・母を亡くしたすし店店主、上野好宏さん(47)
 お母さんが天国へ旅立ってから今日で25年…ある時、お父さんに「年とったらどうするん」と聞いたら、「お母さんが亡くなった場所を離れられへん」と言うねんな。そん時、神戸に帰って一緒にすし屋をすることに決めてん。だってお母さんと約束したやん。東京の大学に行ってもええけど、もしお父さんに何かあれば、大学辞めてすし屋して弟と妹に学校行かせてあげてって。
 お母さんの名前から一文字ずつもらった娘たちは元気に育ってる…目を閉じると「よっちゃん、がんばり、がんばり」という声が聞こえます。いつも支えてくれてありがとう。

・妹を亡くし語り部として活動する松本幸子さん(65)
…あの日から25年。大きな災害は繰り返しやってきます。私たちは災害の苦しみのどん底にいる人を、助け上げる社会をつくり上げてこられたでしょうか。つぶれた家の中で、燃える炎の中で、救助を待ちながら亡くなられた皆さまのことは決して忘れません。
 今までに払ってきたたくさんの犠牲から学び、備えるならば、命を守ることは必ずできると思います。

◆被災した方々の高齢化が進む。震災後に生まれた人が年々増え、神戸市民の約半数が震災を経験していない人になっている。次世代へ、そして改めて減災へ国、個々が何をやるべきか何ができるのか。
 ♫「しあわせ運べるように」…今も、生きている者を守り続け励ましてくれる人がいる。せめてこの日は思い出し語ること、それがつながっていくと信じて。

命を守る 生きていく
<2020.1.20 S>