101歳 ”昭和の宰相”死去

 第71〜73代首相、中曽根康弘氏が死去した(11月29日)。101歳、群馬県出身。戦後日本政治の総決算を掲げ、「ロン・ヤス」日米強化や「土光臨調」と行政改革を断行した。

◆1972年、長期政権を担った佐藤栄作総理大臣の退陣以降、「三角大福中」の5人の派閥領袖が中心となって、日本の政界が動いた。自民党の実力者、三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘。名前の1文字を取って「三角大福中」と言われ派閥が機能した時代。それぞれに足跡を残した。

中曽根氏は小派閥ゆえ、政局の節目に驚くほどの”変わり身”を見せたことがあった。
 反佐藤政権の急先鋒だったのに入閣、1972年に自民党総裁選「角福戦争」では同郷群馬の福田味方の大方の読みを裏切って田中についた。「風見鶏」と揶揄されたが、結果を出せる立場(首相)になるための一手段ととらえ気にさえしなかった。根本に揺るぎない国家観があったからだろう。

◆国家が為すべきものに挑み、激動の時代に結果に示した。
 まず行政改革。利害が絡む党内や官僚の反対を押し切り、強く”小さい政府”を目指して断行した。臨時行政調査会を発足させ、土光敏夫会長との二人三脚は政界史上まれにみる強力コンビ。首相就任後に国鉄の分割・民営化(現JR)や電電公社(現NTT)、専売公社(現JT)の民営化を成し遂げた。
 外交・安全保障面では、日米関係を「運命共同体」ととらえた。レーガン米大統領(当時)とは「ロン・ヤス」と呼び合う関係を築き、防衛費の国民総生産(GNP)比1%枠を突破する予算編成、米国と連携強化を軸にした。
 また、戦後の首相としては初めて靖国神社を公式参拝した。
 すべての根本に国があった。
 首相在任は安倍、佐藤、吉田、小泉内閣に続いて戦後5位の長期政権だった。

◆自民党の定年制適用で、小泉純一郎首相(当時)から引退を勧告され2003年の衆院選への出馬を断念、国会議員を引退。「暮れてなお 命の限り 蟬しぐれ」と句を詠んだ。
 また首相退任後に未公開株の政財界への譲渡問題「リクルート事件」では、自身も証人喚問を受けた…清濁あわせのむ人間性も。

◆中曽根氏は初当選間もない頃、よく葬儀用の黒ネクタイをし国会に通ったと聞く。問われても平然と「占領下は日本の喪中」…2年前、白寿を祝う会では「(憲法改正は)わが人生の願いだ」となお意欲衰えていかなった。
 政治屋は多く増えるばかりだが、政治家が一人また一人といなくなっていく。

昭和 いよいよ遠く
<2019.12.2 S>

*はや師も走る12月。この「喜怒哀楽」(原則月曜掲載)も通算90本に迫りました…世の出来事、人を見つめ続けていきたいと思います。S