不滅の400勝投手 金田逝く

 プロ野球の国鉄、巨人で通算400勝を挙げた左腕投手・金田正一氏が死去した(6日)。86歳。巨人が発表、通夜・告別式は近親者のみで行われ(喪主は俳優の長男・賢一さん)、後日お別れの会を行うという。

◆金田氏はその名前の通り「正」に日本「一」、史上最高の投手と言える。
愛知県出身、1950年に国鉄(現ヤクルト)入りした。享栄商高中退のため、8月入団ながら速球と縦に落ちるカーブだけで8勝、51年から14年連続で20勝以上をマークした。対巨人、対長嶋茂雄に闘志を燃やし、立教大卒の黄金ルーキー・長嶋のデビュー戦で4打席連続三振を奪った(58年4月5日)のは、昭和の名勝負の一つだろう。
 巨人移籍5年目、通算400勝を達成した69年に現役引退した。これこそ前人未到と言える400勝、4490奪三振と298敗は史上最多で、沢村賞にも3度輝いた。背番号34は巨人の永久欠番になっている。

◆20勝投手さえ久しく出ない現代プロ野球界。直近の20勝投手は、2013年の楽天・田中将大(現大リーグ・ヤンキース)。24勝無敗という驚異的な成績は、記憶に新しい。
 セ・リーグには長く20勝投手が誕生していない。最後に20勝投手となったのは2003年、阪神・井川慶(現独立リーグ・兵庫ブルーサンダーズ)で20勝5敗だ。
 その20勝を20年続けないと400勝は達成できない…いかに凄いかが分かる。おそらく今後も破られることはない記録だろう。

◆打者としても類まれなものがあった。投手として登板しての36本塁打は史上1位、代打で2本の本塁打も記録、通算本塁打は38本。入団した1950年のプロ入り初本塁打は17歳2ヶ月、野手を含めて未だにプロ野球最年少記録だ。驚くことに、投手でありながら8度も敬遠されている。

◆金田氏は引退後1973〜78年、90・91年にロッテ監督で指揮、74年にはリーグ優勝と日本一に導いた。88年に野球殿堂入り。78年に名球会を設立し、2009年まで初代会長、代表幹事を務めた。
 74年の日本一には思い出がある。日本シリーズ・ロッテ対中日、当時はデイゲームだった。筆者は三重県の高校2年だったので、当然中日ファン。授業前、教室後ろの黒板に日本シリーズのスコアボードが書かれていた。最後列の同級生が学生服の内ポケットにしのばせた携帯ラジオ、イヤホンはそで口から耳にさし、得点を書き入れていく。1クラス45人の時代、皆がちらちらと後ろを見る。先生も見て見ぬふりをしてくれた…いい時代。

 その1974年、巨人のV10を阻んだ中日。優勝を決めた中日球場のマウンドに立っていたのは星野仙一。そしてその日の神宮球場では、ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄がユニホームを脱いだ。翌日のスポーツ紙1面トップは20年ぶり中日Vを完全に押さえて、ミスタージャイアンツ・長嶋引退だった。

◆打撃の神様と呼ばれ、巨人V9監督の川上哲治氏は「最も速い球を投げる日本人投手は?」と問われ、「実際に見た中で言うなら、金田だと思いますね。若い頃はもう、本当に速かった」と答えている。
 日本最多安打3085の記録を持つ張本勲氏は「.あんなに速い球は見たことなかった。私の中では世界一の大投手。いつかあの世で対戦して、あの真っすぐを打ちたい」。

カネやん 野球人生全う
<2019.10.7 S>