平成の大横綱 角界去る

日本相撲協会が臨時理事会で貴乃花親方(46)の退職を承認した=10月1日。貴乃花部屋所属の力士、床山、世話人の千賀ノ浦部屋への移籍も承認、貴乃花親方の実父・故二子山親方(元大関・貴ノ花)が1982(昭和57)年に創設した旧藤島部屋の流れをくんだ貴乃花部屋は消滅することになった。

一見、旧態依然の”オジさん集団”と、はねっ返り”青年”のけんかのようにも見えるが⁈ ことは日本の国技である。突き詰めれば、人間関係のこじれの結果のようで、残念でならない。

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◆貴乃花親方は2003(平成15)年に現役を引退した後、2010(平成22)年の相撲協会理事選挙に出馬し当選、相撲協会幹部としても順風のスタートを切った。しかし昨年、元横綱・日馬富士の弟子・貴ノ岩への傷害事件の対応を巡り相撲協会と対立し、今年1月に理事を解任された。

さらに初場所後の相撲協会の役員改選に出馬したが落選。その後、相撲協会の処分に異議を唱え内閣府に告発状を提出していた。だが、3月の春場所で弟子の貴公俊が支度部屋で付け人に暴行し、その責任を取って告発状を取り下げ、一兵卒から再出発することを表明した。相撲協会からは師匠としての責任を問われ平の年寄への降格処分。わずか3カ月で相撲協会No.3から、序列でいえば88番目への5階級降格になった。貴乃花一門(阿武松グループ)を離れ無所属の親方となった。

ところが相撲協会は7月の理事会で、全ての親方は5つの一門(出羽海、二所ノ関、時津風、高砂、伊勢ケ浜)に所属しなければならず、無所属の親方を認めないことを決定。

貴乃花親方は告発状の内容を全否定しなければ、一門に合流できないとの有形、無形の要請を受けたという。それは認めることができないとして、9月25日に相撲協会に引退届を提出。同日開いた会見で、そう退職理由を明かした。

◆5つの一門に入らなけれはならないという決定は、すぐには公にされず協会側対応に疑問を残した。

協会側は、貴乃花親方が語った有形無形の一切の圧力を否定し、「運営補助金などの透明化、かつ各一門にガバナンス(組織統治)強化を担ってもらうため」と説明した。

八角理事長(55)は「直接話し合いの場を持つつもりだった」「一門で引き受けてもいいと思っていた」と語った。この「…つもりだった。…思っていた。」は、結局は後付けと思われても仕方ないのではないか。

「無念」と語った貴乃花親方も、近い親方の説得に耳をかさないなど頑なに過ぎた点もあろう。「名選手、名監督にあらず⁈」といわれる事もあるように、組織人として清濁合わせのめない一本道。歯切れも悪く、協会側の個人名を伏せずに明かすべきだった。

国技の世界、ともにもう少し懐深くあってほしかった。

◆若貴ブームは凄かった。

若花田、貴花田の兄弟は1988(昭和63)年3月場所でそろって初土俵を迎える。1991(平成3)年、千代の富士-貴花田戦を覚えている。夏場所初日、時の大横綱・千代の富士を破り初金星。「体力の限界」と語ったウルフ・千代の富士引退のきっかけともなった。後に若貴人気で、若い女性ファンの姿が目立つようになった。昭和の重厚な大相撲から、平成の大相撲に華やかさを持ち込んだ。

1995(平成7)年11月場所、千秋楽の優勝決定戦の舞台に上がったのは、12勝3敗の横綱・貴乃花と大関・若乃花。大相撲史上に残る一番、同部屋兄弟対決だった。

「若貴ブーム」として時代を席巻していた2人の対決。ところが、取組中に貴乃花が覇気のないように見えたことから”八百長疑惑”まで出る始末。結果は若乃花が下手投げで勝利し2度目の優勝を飾った。

後のインタビューで貴乃花は「やりにくかった」と答え、疑惑がさらに膨らんだことを思い出す。期待された激しい取組ではなかったが、兄弟なのだから当たり前だと思ってしまうが…「若貴対決」大相撲の名場面に違いない。

優勝22回の横綱貴乃花。日本の相撲界にとって大きな損失は明白である。その実績を無にしていいものなのか。相撲協会”経営”から離れ、かつ相撲協会も認める立場で大相撲支援など…その功績に報いる道はなかったのか。

◆今の相撲界に若貴時代の”魅力”はない。日本人力士の奮起も期待したい。いずれにしろ協会の顔の見えない、透明性に欠ける大相撲は支持されず、このままでは危うい。国民あっての国技、正々堂々の原点が求められる。まさに土俵際の正念場だ。

元貴乃花親方は、4日に永田町に姿を現し、馳浩元文部科学大臣と電撃会談。参院選出馬やプロレス転向かとの憶測が駆け巡るが、本人は「いや全く…またそんな器用にできない」。

真の国技へ 待ったなし!

<2018.10.8    S>