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11/13(月)キャプテンの一言

▼もう少しで来館者40万人目になるところ
だったが、ちょっと早すぎて残念。
11日、京都国立博物館の国宝展に行った。
朝10時前に着いたが、すでに長蛇の列、
聞いていたので驚かなかったが40分待ちの
看板には「さすが」と観念した。
それでも1時間以上覚悟していたので
「まあ、いいか」とじっくり構えていたが、
列はスイスイと前へ進み10分で敷地内に入り、
さらに15分で展示場ではない館内へ突入した。
そして10分ほどで国宝がズラリと並ぶゾーンに
入った。最初に見たいのは誰も同じのようで
「金印は40分待ちです」というアナウンス。
念のため係員に確認すると近くで見る人は
40分待ちで、周りからならすぐに見ることが
できるので階段で3階に上がれという。
午後には別の場所に移動したかったので
飛ぶように3階に上がり、一番奥の展示場へ
向かった。確かに並んでいる人の列は続いて
いたが、その外からでもはっきりと「金印」を
見ることができた。その距離1・5メートル。
並んでいる人は40センチから50センチの
距離だったが問題はなく、しっかりと目に
焼き付けることができた。ただ、一辺わずか
2・347センチは想像以上に小さかった。

▼この「金印」には「漢委奴国王」と彫られて
おり、後漢の初代皇帝、光武帝が建武中元2年
(西暦57年)に朝貢に訪れた倭奴国の
使者・大夫に賜ったとされている。江戸時代に
福岡県志賀島の田んぼの中から発見され、
藩主の黒田家に伝ったとされている。
邪馬台国の卑弥呼が魏からもらった
「親魏倭王」の金印と並び古代最上の証拠品
だが、残念ながら、こちらは発見されていない。
もし発見されれば、謎の中から出ることがない
邪馬台国論争はイッキに解決するかもしれない。
今回展示されている「金印」は現在の博多湾に
紀元前後に存在した奴国の国王に対して
与えられたものだが、奴国=倭国だった
可能性も十分にある。奴国のすぐ西隣には
1世紀に伊都国があったとされている。
三国志魏志倭人伝にはここに
「一大率(いちだいそつ)」という機関が
置かれていたと記されている。
これが邪馬台国の出先機関か魏のものか
意見が分かれるところだが、ボクは魏の
出先機関の方を支持したい。つまり邪馬台国
は名目上の国家で、実質は伊都国がもっとも
実力を備えた国ではなかったのではないかと
思っている。展示されている「金印」をもらった
奴国は魏志倭人伝に出てくる2つの奴国では
なく、伊都国の前身だった可能性も否定
できないと思っている。やはり、本物を見ると
どんどん空想が広がってくる。正解が出ること
はないかもしれない。それでも古代に思いを
馳せることは楽しいもの。

▼京都国立博物館のあと、関係がまったくない
京都競馬場に向かった。同じ京阪電鉄沿線
なので、それこそアッという間に着く。
翌日にG1「エリザベス女王杯」という雰囲気は
伝わっていたが、好天ながら風は強く少し
肌寒く感じた。土曜日のことはさておき、
きのうの「エリザベス女王杯」は前半が
62秒0のスローペース。この時点で後方の馬
では届かない展開となった。
その結果、1着のモズカッチャンは4コーナー
4番手で、2着のクロコスミアは2番手で回って
いた。勝ったモズカッチャンはGⅠ初制覇、
鞍上のデムーロ騎手は去年のクイーンズリング
に続いて連覇となった。これでこの秋のGⅠは
スプリンターズSをデムーロ騎手、秋華賞を
ルメール騎手、菊花賞はデムーロ騎手で、
天皇賞・秋(キタサンブラック)のみ武豊騎手
となっている。こうなるとGⅠはデムーロ騎手
かルメール騎手からという考えになってしまい
そう。でも人というのは天邪鬼のところがある。
今週のGⅠ「マイルチャンピオンシップ」は
どうしよう。

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