つなぐ 2つの東京五輪

 1964年以来の東京五輪まで、あと200日を切った。
 メーンスタジアムの新国立競技場はすでに完成。一方でデザイン盗作疑惑で公式エンブレムやり直し、マラソン・競歩が急遽札幌に変更されたりゴタゴタも…そのマラソンに関連し、ちょっといい話があった。

◆1968年メキシコ五輪男子マラソン銀メダリストの君原健二さん(78)が、福島県公募の聖火ランナーに内定した。
 だが走るなら、君原さんの故郷・北九州市では?…福島は、64年東京五輪にともに出場した故円谷幸吉選手の出身地。銅メダルを獲得しながら故障や重圧に苦しみ、27歳で自ら命を絶った盟友。半世紀後、その故郷を走り「2つの東京五輪」を聖火でつなぐという決意だった。

◆ 福島県須賀川市の「円谷幸吉メモリアルホール」には遺書「父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました…」や銅メダル、シューズなど遺品が並んでいる。
 川端康成は遺書について「相手ごと食べものごとに繰りかへされる『美味しゆうございました』といふ、ありきたりの言葉が、じつに純ないのちを生きてゐやる。美しくて、まことで、かなしいひびきだ」「千万言も尽くせぬ哀切である」と評した。

 同学年のライバルで友人だった円谷選手の死は、君原さんには衝撃でその後の陸上人生に少なからず影響を与えただろう。そして友を救えなかった、相談に乗れなかった悔恨の思いも胸に⁈… 君原さんは語っている「メキシコ五輪の銀メダルは円谷さんのおかげです」。

◆須賀川市では毎年秋には「円谷幸吉メモリアルマラソン」が開催されている。36回を重ねる大会で、君原さんは35回参加、いつもレースの前日に現地入りし、円谷選手の墓参を欠かさない。今回も缶ビールを半分だけ飲み、半分は友に供えて内定を報告した。
 君原さんには、今回マラソンが行われる札幌での忘れ得ぬ思い出がある。1964年東京五輪の約2カ月前、1万メートル記録会で円谷選手1位、君原さんが2位、ともに当時の日本記録出した。競技場近くの売店でビールを買い、コーチらを交え縁台で乾杯…毎年あの時のことを思い出しながら、墓の前でビールを分け合うという。
 東京五輪金メダリスト・アベベの息子や、国立競技場で円谷選手を抜き去った銀メダリスト・ヒートリーも円谷選手の墓に参っている。

◆君原さんが走り続けることで、円谷選手の記憶は生き続ける。何があろうと、見えると見えないとにかかわらず「人を時をつないでいく」…今を生きる者の使命。

未来へ 続けバトン
<2019.1.13 S>