憧れ ”孤高の2塁手”逝く

 プロ野球中日で俊足好打の名2塁手として活躍し、監督では1994年に巨人との「10.8決戦」を指揮した高木守道(もりみち)さんが17日、急性心不全のため死去した。78歳。岐阜県出身。

◆県岐阜商から中日一筋。派手さはないがいぶし銀のプレー、日本球界初の華麗なバックトス、まさに「ミスタードラゴンズ」。通算成績2274安打、236本塁打、813打点、369盗塁、打率2割7分2厘。現役21年で3度の盗塁王、ゴールデングラブ賞3度、ベストナインは7度も獲得した。2006年に野球殿堂入り。
 2度の監督では代行含め7シーズン、383勝379敗25分け。1994年、同率首位で長嶋巨人と激突した最終試合「10.8決戦」は、3-6で敗れはしたが今なお語り継がれている。2010年の12球団選手・監督・コーチら計858人に行ったアンケートでも、歴史を彩った「最高の試合」1位に選ばれている。
 2012年からは積極的にファンサービスを掲げる一方で、高木監督自ら「暴走老人」と呼び首脳陣との意見が衝突したこともあった。
 
 突然の訃報にミスタープロ野球・長嶋氏は「監督としては何といっても10.8決戦、巨人の胴上げをじっと見つめていた守道ちゃんの表情は忘れられません。野球界にとって貴重な人材を失い、残念です」…実は2人の出会いは、立教大・長嶋選手が県岐阜商・高木選手を指導に行った時までさかのぼる。当時、遊撃手だった高木氏に「プロでやるなら、2塁を守りたまえ」と勧めたのが長嶋氏だった。そのアドバイスがプロ入り決断の一つになったという。

◆2013年2月、新聞社時代にプロ野球の沖縄キャンプを視察した。
 メーンは藤浪晋太郎投手1年目の阪神タイガース。和田豊監督と藤浪投手起用法などの話を終え、北谷の中日ドラゴンズキャンプへ。時間の都合上、高木守道監督とは話はできず、憧れの姿を見ただけ…今も悔やまれる。

◆もう半世紀以上前か…「おいっ!乗れ」の父の声に商売用トラックの荷台で中日球場へ。2時間も揺られる苦痛よりも、楽しみがはるかに勝っていた。子どもたちの多くがプロ野球選手になりたかった時代、当時の汚れた中日球場(スタヂアム)さえ憧れだった。もっとも観戦は、ほとんど王・長嶋を擁しV9中の巨人戦で、いつも負けて悔しい思いで帰宅した。
 1番センター中・2番セカンド高木が、今も日本プロ野球史上最高の1、2番コンビだと思っている。

 昭和を輝かせてくれた、記憶に残るプロ野球選手がまた1人逝った…寂しい。皆胸ときめいた、ありがとう。

さらば昭和 また一つ
<2019.1.23 S>

阪神大震災25年 1人じゃない

 6434人が亡くなった阪神大震災は17日、発生から25年となった。神戸市中央区の東遊園地で行われた「1.17のつどい」では、早朝から竹灯籠など約6千本が灯され「きざむ 1.17」の文字が浮かび上がった。発生時刻の午前5時46分に各所で追悼行事が行われ祈りは夜まで続いた…もう25年なのか、まだ25年なのか。

◆あの日揺れの中、足を踏ん張りながら妻子の部屋へ。1歳の長男は、妻が覆いかぶさるように守る下でミルクを飲みながら揺れていた。横で熟睡していた3歳前の長女は目覚め「あーよく寝た」…救われた思いになった。
 大きな被害がないことを確認し社へ向かった。新聞社編集局選挙本部勤務で、たまたま朝出勤だった。電車は全面ストップ、隣駅のタクシー乗り場は長蛇の列。運良く社契約のタクシーに乗れたが、都心梅田に近づくほど渋滞でまったく進まない。途中から歩き、結局着いたのは数時間後。この時緊急車両も動けなくなり、後に国民の認識とともに法改正もされた。
 やっと社に上がれば「よく来た。よしっ1ページ増やそう!」…出社できない記者もいた。号外、夕刊製作で騒然とした編集局。亡くなった人の数が信じられない速さで増えていく。そして阪神高速道路の倒壊写真に愕然とした。そのまま朝刊態勢へ…どう紙面をつくったのか、何日後に帰宅したのか覚えていない。ただ伝えなければ、の思いだった。

◆1995年は激動の年でもあった。
 地下鉄サリン事件、大リーグドジャース・野茂英雄投手が新人王、沖縄米兵の少女暴行事件…統一地方選挙は神戸を中心に多くで実施できず、期日をずらして行われ”震災選挙”と言われた。そして神戸が本拠地のプロ野球オリックスが優勝。仰木彬監督、イチローらが「がんばろうKOBE」を合言葉にパ・リーグを制覇、市民に勇気を与えてくれた。

◆各所の追悼式典で、遺族代表が言葉を述べた(以下抜粋)。
・母を亡くしたすし店店主、上野好宏さん(47)
 お母さんが天国へ旅立ってから今日で25年…ある時、お父さんに「年とったらどうするん」と聞いたら、「お母さんが亡くなった場所を離れられへん」と言うねんな。そん時、神戸に帰って一緒にすし屋をすることに決めてん。だってお母さんと約束したやん。東京の大学に行ってもええけど、もしお父さんに何かあれば、大学辞めてすし屋して弟と妹に学校行かせてあげてって。
 お母さんの名前から一文字ずつもらった娘たちは元気に育ってる…目を閉じると「よっちゃん、がんばり、がんばり」という声が聞こえます。いつも支えてくれてありがとう。

・妹を亡くし語り部として活動する松本幸子さん(65)
…あの日から25年。大きな災害は繰り返しやってきます。私たちは災害の苦しみのどん底にいる人を、助け上げる社会をつくり上げてこられたでしょうか。つぶれた家の中で、燃える炎の中で、救助を待ちながら亡くなられた皆さまのことは決して忘れません。
 今までに払ってきたたくさんの犠牲から学び、備えるならば、命を守ることは必ずできると思います。

◆被災した方々の高齢化が進む。震災後に生まれた人が年々増え、神戸市民の約半数が震災を経験していない人になっている。次世代へ、そして改めて減災へ国、個々が何をやるべきか何ができるのか。
 ♫「しあわせ運べるように」…今も、生きている者を守り続け励ましてくれる人がいる。せめてこの日は思い出し語ること、それがつながっていくと信じて。

命を守る 生きていく
<2019.1.20 S>

つなぐ 2つの東京五輪

 1964年以来の東京五輪まで、あと200日を切った。
 メーンスタジアムの新国立競技場はすでに完成。一方でデザイン盗作疑惑で公式エンブレムやり直し、マラソン・競歩が急遽札幌に変更されたりゴタゴタも…そのマラソンに関連し、ちょっといい話があった。

◆1968年メキシコ五輪男子マラソン銀メダリストの君原健二さん(78)が、福島県公募の聖火ランナーに内定した。
 だが走るなら、君原さんの故郷・北九州市では?…福島は、64年東京五輪にともに出場した故円谷幸吉選手の出身地。銅メダルを獲得しながら故障や重圧に苦しみ、27歳で自ら命を絶った盟友。半世紀後、その故郷を走り「2つの東京五輪」を聖火でつなぐという決意だった。

◆ 福島県須賀川市の「円谷幸吉メモリアルホール」には遺書「父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました…」や銅メダル、シューズなど遺品が並んでいる。
 川端康成は遺書について「相手ごと食べものごとに繰りかへされる『美味しゆうございました』といふ、ありきたりの言葉が、じつに純ないのちを生きてゐやる。美しくて、まことで、かなしいひびきだ」「千万言も尽くせぬ哀切である」と評した。

 同学年のライバルで友人だった円谷選手の死は、君原さんには衝撃でその後の陸上人生に少なからず影響を与えただろう。そして友を救えなかった、相談に乗れなかった悔恨の思いも胸に⁈… 君原さんは語っている「メキシコ五輪の銀メダルは円谷さんのおかげです」。

◆須賀川市では毎年秋には「円谷幸吉メモリアルマラソン」が開催されている。36回を重ねる大会で、君原さんは35回参加、いつもレースの前日に現地入りし、円谷選手の墓参を欠かさない。今回も缶ビールを半分だけ飲み、半分は友に供えて内定を報告した。
 君原さんには、今回マラソンが行われる札幌での忘れ得ぬ思い出がある。1964年東京五輪の約2カ月前、1万メートル記録会で円谷選手1位、君原さんが2位、ともに当時の日本記録出した。競技場近くの売店でビールを買い、コーチらを交え縁台で乾杯…毎年あの時のことを思い出しながら、墓の前でビールを分け合うという。
 東京五輪金メダリスト・アベベの息子や、国立競技場で円谷選手を抜き去った銀メダリスト・ヒートリーも円谷選手の墓に参っている。

◆君原さんが走り続けることで、円谷選手の記憶は生き続ける。何があろうと、見えると見えないとにかかわらず「人を時をつないでいく」…今を生きる者の使命。

未来へ 続けバトン
<2019.1.13 S>

ゴーン被告逃亡 法とは

 前日産自動車会長カルロス・ゴーン被告(65)がレバノンに逃亡した年末年始の衝撃ニュース。不法出国はプライベートジェット機に持ち込まれた音楽設備用の大型ケースに隠れて…まるでスパイ事件だ。

◆米ウォールストリート・ジャーナルは「多国籍15〜20人のチームが関与した」。元米軍特殊部隊グリーンベレーの何人か同行したという。また「関西空港は大穴」と甘い検査体制を指摘、日本の空港に汚名も着せられた。

◆保釈を認めた裁判所、日本の法曹界は汚点だ。
 保釈は逃亡や証拠隠滅などがないと判断されなければ認められない。確かに事案が多い都会など、微罪でも調べが遅く再逮捕や起訴後勾留など長い拘束制度、遅い公判など問題も多く是正すべきだ。しかし微罪でなく国の基幹企業トップの罪、海外からの「人質司法」批判に揺らいだ…本末転倒。
 また、莫大な資産を有するゴーン被告。逃亡資金は20億円以上とみられ、没取された15億円の保釈保証金額が妥当かどうか。35億円以上でも”自由”が買えれば、ということだろう。甘すぎる見通し…司法よ大丈夫か。
 日産側も手放しでいいとは言えまい。長年の悪習を内部でただせす、司法取引の末の起訴も情けない。

◆森法相が「不法出国に当たる犯罪で誠に遺憾」、菅官房長官も「(身柄引き渡しについて)さまざまな外交的手段を行使しながら総力を挙げる」と述べた。
 しかし、日本と引き渡し条約を結んでいないレバノンは応じない構え…国内法を超えた国と国との関係。第3国を通じた外交ルート、強硬な実力行使、金銭含めた裏ルートの”奪還”しかないのか⁈

◆ゴーン被告は逃亡先のレバノンで、約50社のメディアを前に会見した(8日)。多数の日本メディアが出席を要請したが認められず、大半が”ゴーン被告寄り”メディア。日本の司法批判し西川前日産社長らによる「陰謀」と、海外に向けて自論展開に終始した。具体的な逃亡方法や、注目された日本政府関係者の名前はレバノン政府に配慮して言及せず…会見がレバノンでなければならない理由は何もなかった。

 ゴーン被告は、日本の法廷に立ち弁護団とともに正々と反論するべきだ。このまま”故郷”レバノンで余生をと思っているのだろうか…それがすんなり通るなら、国際社会と言えない。

問われた 国と法
<2020.1.9 S>

寅さん よっ!令和2年

♫俺がいたんじゃ
お嫁にゃいけぬ 
わかっちゃいるけど 
妹よ…♫

 山田洋次監督(88)による国民的映画「男はつらいよ」シリーズの50周年記念作品、「お帰り 寅さん」を観た。1969年第1作が公開されてから50年、97年の「寅次郎ハイビスカスの花 特別篇」以来、22年ぶりに製作された。96年に亡くなった車寅次郎・渥美清、妹さくら・倍賞千恵子、さくらの夫博・前田吟、甥満男・吉岡秀隆ら…歴代マドンナは後藤久美子、浅丘ルリ子、八千草薫らが花を添えた。

◆映画館で3回くらい、年末年始のテレビ映画でも数回、ファンとは言えない。だが亡き渥美清=寅さんと、今回の出演者たちが映像的にどう絡むのか興味もあった。やはり齢のせいか台詞がこんなに素晴らしかったのかと、迫ってくるとは…そして笑いと涙のなかに、一人じゃないんだ正直でいいんだ!人生エールを送る日本映画。できれば若い世代にも観てほしい。

◆東京単身赴任、東日本大震災(2011年)の翌年、休日に柴又の帝釈天を訪れた。駅を出ると寅さん像があり(今は妹さくら像も加わった)、寅さんそのままの格好をした”観光PR人”もいた。参道の店で昼酒、その勢いで寅さん記念館ではセットに座り写メを撮り、山田洋次ミュージアムにある監督の言葉に感動した記憶がある。
 誤解恐れずに言えば「お帰り 寅さん」の台詞一つ一つが、山田洋次監督の”遺言”に聞こえてくる。

◆会話シーンが実にいい。
 妻を亡くしサラリーマンから小説家に転身した甥・満男(吉岡秀隆)と、中学生の一人娘ユリ(桜田ひより)。行き詰まり気味の満男の書斎に来て、ユリが遠慮気味に「ちょっと話があるんだけど…邪魔だったら後ででも」。満男が振り返り静かに「君と話すこと以上に、大事なことなんてないんだよ」。

 人って何のために生きてるんだろうと満男に聞かれ、寅さんが言う。「あぁ産まれてきて良かったなぁ、て思うことがたまにあるだろう。そのために人間生きてんじゃあねえかい」。
 「困ったことがあったらな、風に向かって俺の名前を呼べ。おじさん、どっからでも飛んできてやるから」。
 昭和、平成、令和…時代は変われど、変わらぬものがある。

おいっ! 人はつなぐんだろ
<2020 1.6 S>

*あけましておめでとうございます。この報道コラムも今年100回を迎えます…喜怒哀楽を変わらず見つめ続けていきたいと思います。よろしくお願いします。S