令和元年 「哀楽」

 令和が始まり、亥年が終わる。自然災害、目に余る不祥事、痛ましい事件、そして若者たちの快挙…喜怒哀楽があった1年。

◆哀◆
【時代を生きた日本人逝く】
・第71〜73代首相・中曽根康弘氏。101歳、群馬県出身。
風見鶏と言われてもなお、戦後日本政治の総決算を掲げ日米強化や行政改革を断行した。根本には「国を思う」…政治屋は多く増えるばかりだが、政治家が一人また一人といなくなっていく。

・前人未到のプロ野球通算400勝を挙げた左腕投手・金田正一氏、86歳。
14年連続で20勝以上。立教大卒の黄金ルーキー・長嶋のデビュー戦で4打席連続三振を奪った(58年4月5日)のは、昭和の名勝負。通算4490奪三振と298敗は史上最多で、背番号34は巨人の永久欠番だ。投球数議論の現代、カネやんは凄かった。

・女優・八千草薫さん。88歳、大阪出身。
19歳の時に19歳年上の谷口千吉監督と結婚。八千草さんは、インタビューで人生で一番大事だと思うものは?と聞かれ「難しい質問ねぇ(しばらく考え)…やっぱり愛かしら」。永遠の憧れ。

・緒方貞子・元国連高等弁務官。92歳、東京出身。
難民について「かわいそうだからしてあげるというものではない。尊敬すべき人間ですから、その人間の尊厳というものを全うするために、あらゆることをして守らなきゃいけないという考え方です」。今、ルワンダなど世界各地には命をつないだ「オガタ サダコ」と名付けられた子どもたちがいる。

【香港デモ 若者たちの未来】
 逃亡犯条例改正案に反対するデモが発端となり半年以上、若者ら民主派と行政府の対立が今なお続く。若者たちが求める普通選挙など「五大要求」に、中国は認める気配はなく”弾圧”の兆し。英国から中国に返還された時(1997年)に約束された民主的で高度な自治「一国二制度」。今危機に瀕していると、民主派は一歩も引かない。未来を支えるべき若者たちの死傷が哀しい…そして”命がけ”なのが気掛かりだ。
 1989年の武力弾圧「天安門事件」の二の舞を避ける。それが国際社会の責務だ。

◆楽◆
【ノーベル賞”会社員”】
 2019年のノーベル化学賞が、リチウムイオン電池開発の旭化成名誉フェローで名城大教授の吉野彰氏(71)ら3氏に決まった(10月9日)。携帯型の電子機器を急速に普及させ、人類のIT(情報技術)社会・モバイル(可動性)社会発展に大きく貢献した。
 北野高校、京都大学卒で阪神タイガースファンの吉野氏。記者会見にも、関西人の粋があった。故郷・大阪への思いを問われ「大阪人には『なんとかなるわいな』という『柔』の姿勢がある」。研究については、執念を持って挑む「剛」と時には楽観的に向き合う「柔」のバランスが大切…そして吉野氏は、若い次世代へ「挑戦心を伝えたい。失敗してもええからやろうや」。

【日本 ONE TEAM】
 W杯ラグビー日本大会。史上初の決勝トーナメント・ベスト8に進出した日本brave blossom(桜の勇者)は、南アフリカに3-26で敗れた(20日)。奇しくもこの10月20日は、今大会に力を注いでいた最中、病に倒れた平尾誠二元日本代表監督の命日だった。堂々の敗戦、日本ラグビーが歴史を変えた日。
 日本中が盛り上がり、元気をくれたW杯。この後の日本ラグビー界も大事だ。プロ化構想も賛成だが、地域に根ざしたチーム作りこそだ。都会集中はもういい!政治が頼りない…「地方創生」にスポーツの力を!
 日本を牽引したリーチマイケル主将は、今年の漢字を問われ「伝」。

喜怒哀楽 人は素晴らしい
<2019大晦日 S>

*人を出来事を見つめた令和元年。来年はこの報道コラムも100本に到達…引き続きよろしくおネがいします。S

令和元年「喜怒」

 令和が始まり、亥年が終わる。自然災害、目に余る不祥事、痛ましい事件、そして若者たちの快挙…喜怒哀楽があった1年。

◆喜◆
【令和 即位礼】
 5月1日午前0時、第126代天皇陛下が即位された。「令和」元年。新たな元号とともに新たな時代が始まった。そして10月22日の国事行為「即位礼正殿の儀」、皇位の継承を内外に宣明された。
 「国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国及び日本国民統合の象徴としてのつとめを果たすことを誓います」…上皇さまへの尊敬が随所に表れ国民とともに歩まれる決意、そして次代へつないで行く強いお心があふれ出たお言葉だった。

【いいぞ!若者たち】
・1月、大坂なおみが全豪テニスで優勝。全米テニスに続き世界4大大会2つ目を制覇する快挙。アジア勢初の世界ランキング1位にもなった。大阪府出身で二重国籍だった大坂は、22歳を前に迷うことなく日本国籍を選択した。

・渋野日向子が8月の全英女子オープンゴルフ優勝。岡山県出身の弱冠20歳。初の海外ツアー、それもいきなりメジャーVとは恐れ入った。樋口久子の1977年の全米女子ゴルフ優勝以来42年ぶりの快挙だ。
食べながらラウンドする自然体、インタビューに「どうしよう、やっちゃった」…スマイル・シンデレラ!

・プロバスケットボールNBA(National Basketball Association)のドラフト会議で、日本代表でも活躍する八村塁(ゴンザガ大21歳、2m03㎝)がワシントン・ウィザーズから日本人初となる1巡目指名を受けた(6月)。
直後のインタビューで「まずは中学のコーチ(富山市立奥田中・坂本穣治氏)に感謝したいです。彼は『僕はNBAへ行く』と言ったのでそれを信じてやってきました。高校、大学の皆さんにも感謝したいです」。ジャケットにつけていた日の丸のピンバッジや「ワシントンの桜が楽しみ」…日本愛、嬉しいじゃないか!

*折れなかった2人
・日本女子競泳界のエース、池江璃花子さん(18)が白血病を公表(2月)、世界中に衝撃が走った。
 急がなくてもいい。ファンが望むのは、五輪の舞台の勇姿だけじゃない。しなやかなで力強い泳ぎ、爽やかな笑顔、感動、そしていつも見る者に与えてくれる「見えない力」信じている。12月に退院、そして直筆コメントには「パリオリンピック出場、メダル獲得という目標で頑張っていきたい」。

・大腸がんから復帰した阪神タイガース、原口文仁捕手・野手(27)。今季一軍で43試合出場、1本塁打・打率.276・11打点をマークした。
 5月のウエスタンリーグで実戦復帰した日、こう語った。「生きているということがすごくありがたいことだと実感できたので。またNPBというところで野球ができていることは僕の中ですごく幸せなことだし。これで僕が活躍することで、さらにたくさんの人に勇気だったり、夢だったりを与えられると思うと…自分のためにというのは置いておいて、みんなのためにこれから野球に取り組んでいきたい」。

◆怒◆
【許せん!無差別殺傷】
・いつもの楽しい登校風景が一変した。川崎市登戸駅周辺で聖カリタス小学校スクールバスが包丁を持った男(51)に襲われた(5月28日)。女児と保護者の2人が死亡、16人が重軽傷を負った。男は自らの首を切り死亡した。抑えられぬ憤り。内藤貞子校長「落ち度ない子どもや保護者が被害に遭うとは、怒りのやり場もない」。緊急保護者会に出席した父親は「学校はよくやってくれていた。それでも事件が起きたなら、どうやったら子どもを守れるんだ!」。

・突然、多くのクリエイターたちの未来が奪われた。7月18日、京都アニメーションが放火され36人が亡くなり33人が負傷、41歳の青葉真司容疑者の逮捕状を取った。抑えられない怒り、やりきれない思い。犠牲になった家族は、ふり絞るように語った。「犯人の事なんてどうでもええ。早く、娘を返してほしい」。

【企業体質 恥を知れ!】
・日本郵政グループのかんぽ生命保険が、契約”操作”によって、保険料の二重徴収や無保険期間が生じていたことが発覚。客に不利益を与えた可能性があるのが18万件、さらに法令・規則違反の疑いは1万2000件以上にも上る。”欺いた”利益至上主義、信じ難い企業倫理欠如だ。契約者の多くが高齢の方、多くない収入から出している生きるための保険料。現場より、経営責任だ…あげくに日本郵政グループ側へ行政処分案の情報を漏らしたとして、総務省の鈴木茂樹事務次官まで更迭された。あ然とする”天下り”の弊害か。「顧客あってこそ」に逆行も甚だしい、解体して抜本改革せよ!

・関西電力の八木誠会長、岩根茂樹社長を含む役員ら20人が、高浜原発が立地する福井県高浜町の森山栄治元助役から3億円以上の金品を受領していた。悪徳代官が登場する時代劇さながら…独占事業にあぐらをかいてきた緩み、怠慢。新体制も越年する遅い事後処理、海外なら国民暴動だ⁉︎。

0から出直せ!日本有数の企業。

<2019.12.23  S>
*2週続けて喜怒哀楽を振り返ります。来週は大晦日に、今週の続き「令和元年 哀楽」を伝えます。

元次官に懲役6年 家族は

 東京都の自宅で44歳の長男英一郎さんを刺殺したとして、殺人罪に問われた元農林水産事務次官の熊沢英昭被告(76)に懲役6年(求刑懲役8年)判決が言い渡された(16日)。東京地裁の中山大行裁判長は、長男を36カ所以上傷つけ、強い殺意をもってすきを突いた「強固な殺意にもとづく短絡的な犯行」と述べ、長男を支援してきた背景事情を考慮しても執行猶予にはできないとした。
 退廷の時、ある裁判官が「お身体に気をつけて」と異例の声をかけた。

◆検察側は、長男の家庭内暴力が事件背景にあったと認めつつ、引きこもり支援知識や経済力があるにもかかわらず外部に相談していない。長男を支えようとした努力は否定しないが、発達障害に悩みながらもネット上で自分なりに人間関係を築いていた長男の「人生を奪う権利はない」と、酌量の余地は乏しいと主張した。
 弁護側は、長男の暴力は頭を家具や庭の鉄製物置にたたきつける執拗で危険なものだったと反論。相談できなかったのは「精神安定剤を飲まなければ体が震えるほどの恐怖」があり、長男を刺激しないように夫妻は閉じこもっていたと説明。熊沢被告も当日「殺すぞ」と言われて「刺さなければ私が殺されたと思う」「とっさにやむを得ず包丁を取って刺した」…長男の就職支援、犯行後すぐ110番し自首しているとも述べ「執行猶予が相当」と訴えていた。

◆この判決に異議を唱えるつもりはない。法曹界は判例重視、これが前例・指針になってはならないの思いも分かる。
 しかし奥深く重大なこの事件。直前に起きた川崎の小学校バス停襲撃「息子も起こすかもしれない」、家族の命も危ない…自らが子どもを殺害する決意、たとえ恐怖にかられたとしても如何ばかりか。妻が鬱病、娘は自殺したとされる点も考慮されたのか…。

◆この事件には、日本が抱える大きな問題もはらんでいると感じた。
 現代、中高年の子どもによる”引きこもり”や家庭内暴力など問題を抱えて苦しむ親は少なくない。
 40〜64歳で”引きこもり”とされる人は60万人超と推計、多くが「退職」が理由という。「8050」問題と言われるように、80歳代の親が50歳代の子どもを養えず”共倒れ”になっていく。さらには次の支え手、若い世代の”非職”も多い…何とかならないものか。

◆裁かれる法廷に立つ熊沢被告は淡々と、そして目をつぶっていたが「長男のことを本当に一生懸命やってくれた。刑を軽くしてください。お願いします」と、妻が涙声で減刑を訴えると、思わず顔を伏せたという。

◆待ったなしの少子高齢日本。季節外れの「桜」ばかりでなく、やるべきことは山ほどある。それが国や政府、政治の使命だ。

生き難き世!? 絆どこに
<2019.12.17 S>

命貫いた 「ドクター中村」

 アフガニスタン東部ナンガルハル州ジャララバードで、農業支援などの活動をしていた日本人医師・中村哲さん(73)の 乗る車が武装勢力に銃撃され死亡した(4日)。
 犯行声明は出ていないが、イスラム原理主義勢力タリバンは「日本のNGOは復興に力を尽くしている。標的にしたことはない」と異例の完全否定声明を出した。イスラム教スンニ派過激組織「イスラム国」(IS)の関与が疑われている。

◆アフガンのガニ大統領はテロと断定。哀悼の意を示し「人々は彼の仕事をいつまでも覚えているだろう。このような残虐行為は、アフガンの進歩と繁栄のために働くという国民と国際的パートナーの決意を阻止することはできない」と強調した。

◆世界を震撼させた「9.11」テロの首謀者、ウサマ・ビンラディン容疑者が潜伏したアフガン。内紛や戦闘が頻発、難民もあふれ、壮大な大地があっても穀物は全く育たない。 「命を救うためには今、100人の医師より水だ」と、中村医師は白衣を脱いだ。水がない干上がった地、砂漠に数年かけて用水路を作った。銃をクワなどに持ち替えた傭兵たちもいた…大地に稲が緑が実った。
 アフガンでは生きるために戦闘員になる若者がいる。中村医師は、かつて「食べること生きること以外はすべて、この地では贅沢なんです」。そして大国を痛烈に批判したこともある。

◆2018年、非政府組織「ペシャワール会」(福岡市)の現地代表である中村医師は、貧困層への医療支援や灌漑事業に尽くしたとしてアフガン政府から国際勲章を授与された。2003年にはアジアのノーベル賞ともいわれる「マグサイサイ賞」、日本でも2016年に秋の叙勲「旭日双光章」を受章。菊池寛賞や城山三郎賞も受賞している。

◆中村医師の妻尚子さん(66)と長女秋子さん(39)は6日首都カブールに到着、遺体と対面…「頑張ったね」「お疲れさまでした」と語りかけた。
 2人とともに帰国の途につくカブールの空港でも、アフガン政府主催の追悼式典が行われた。中村医師の棺を担いで行進する軍兵士らの先頭は、ガニ大統領だった。

◆こんな生き方ができる日本人がいたことが誇らしい。
 中村医師の著書、そのタイトルは「人は愛するに足り、真心は信ずるに足る」。

命賭して 命救う
<2019.12.9 S>

101歳 ”昭和の宰相”死去

 第71〜73代首相、中曽根康弘氏が死去した(11月29日)。101歳、群馬県出身。戦後日本政治の総決算を掲げ、「ロン・ヤス」日米強化や「土光臨調」と行政改革を断行した。

◆1972年、長期政権を担った佐藤栄作総理大臣の退陣以降、「三角大福中」の5人の派閥領袖が中心となって、日本の政界が動いた。自民党の実力者、三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘。名前の1文字を取って「三角大福中」と言われ派閥が機能した時代。それぞれに足跡を残した。

中曽根氏は小派閥ゆえ、政局の節目に驚くほどの”変わり身”を見せたことがあった。
 反佐藤政権の急先鋒だったのに入閣、1972年に自民党総裁選「角福戦争」では同郷群馬の福田味方の大方の読みを裏切って田中についた。「風見鶏」と揶揄されたが、結果を出せる立場(首相)になるための一手段ととらえ気にさえしなかった。根本に揺るぎない国家観があったからだろう。

◆国家が為すべきものに挑み、激動の時代に結果に示した。
 まず行政改革。利害が絡む党内や官僚の反対を押し切り、強く”小さい政府”を目指して断行した。臨時行政調査会を発足させ、土光敏夫会長との二人三脚は政界史上まれにみる強力コンビ。首相就任後に国鉄の分割・民営化(現JR)や電電公社(現NTT)、専売公社(現JT)の民営化を成し遂げた。
 外交・安全保障面では、日米関係を「運命共同体」ととらえた。レーガン米大統領(当時)とは「ロン・ヤス」と呼び合う関係を築き、防衛費の国民総生産(GNP)比1%枠を突破する予算編成、米国と連携強化を軸にした。
 また、戦後の首相としては初めて靖国神社を公式参拝した。
 すべての根本に国があった。
 首相在任は安倍、佐藤、吉田、小泉内閣に続いて戦後5位の長期政権だった。

◆自民党の定年制適用で、小泉純一郎首相(当時)から引退を勧告され2003年の衆院選への出馬を断念、国会議員を引退。「暮れてなお 命の限り 蟬しぐれ」と句を詠んだ。
 また首相退任後に未公開株の政財界への譲渡問題「リクルート事件」では、自身も証人喚問を受けた…清濁あわせのむ人間性も。

◆中曽根氏は初当選間もない頃、よく葬儀用の黒ネクタイをし国会に通ったと聞く。問われても平然と「占領下は日本の喪中」…2年前、白寿を祝う会では「(憲法改正は)わが人生の願いだ」となお意欲衰えていかなった。
 政治屋は多く増えるばかりだが、政治家が一人また一人といなくなっていく。

昭和 いよいよ遠く
<2019.12.2 S>

*はや師も走る12月。この「喜怒哀楽」(原則月曜掲載)も通算90本に迫りました…世の出来事、人を見つめ続けていきたいと思います。S