”桜勇者”8強 本物ラグビー

 W杯ラグビー日本大会。史上初の決勝トーナメント・ベスト8に進出した日本brave blossom(桜の勇者)は、南アフリカに3-26で敗れた(20日)。奇しくも10月20日は、今大会に力を注いでいた最中に病に倒れた平尾誠二元日本代表監督の命日。
 4年前のW杯で”今世紀最大の番狂わせ”と言われた勝利の再現はならなかった。しかしまさしく、堂々の敗戦…日本ラグビーが歴史を変えた日となった。

◆戦績で表す世界ランキングとは別に、歴史・伝統・スポーツマンシップなど加味したラグビー界独特のティア(tier=英語・階級・位)。8強のうち超一流「ティア1」が7チーム、いわば2番手「ティア2」は日本だけ。2度の優勝経験を持つ南アフリカに、後半徹底したスクラム・モール、フィジカルで圧倒され力尽きた…しかし総重量差30キロの相手に真正面勝負を挑んだ姿、胸を張れ!
 
 1次リーグ最終戦、日本は28-21でスコットランドを破り4戦全勝。スコットランド戦が本物の力を問われると思った…それでもまだ半信半疑だったが、この準々決勝・南ア戦で「本物」だと確信に変わった。
 その力を裏付けるように、ワールドラグビーのビル・ボーモント会長はプール戦(1次リーグ)総括会見で、日本の「ティア1」入りには触れなかったが、「(今大会後からは)テストマッチで引っ張りだこになるだろう」と予言した。

◆川淵三郎Jリーグ初代チェアマン・元日本サッカー協会キャプテン(会長)は、決勝トーナメント進出が決まった日に粋なツイートを発信した。
 「日本ラグビー、ベストエイト進出誠におめでとうございます。
番狂わせではなくて相手を凌駕するタックル、パスワーク、分厚い守備は世界レベルの実力そのもの…今は亡き宿沢さんが、サッカーより先にベスト8になります、と僕に言った言葉が現実になった。宿沢さん、参りました!」

◆桜のジャージが最後になる最年長38歳のトンプソン・ルークは試合後「ちょっとさびしい。このチームは特別だった。負けたのは残念だが、素晴らしい応援。感動しました」。
 リーチ・マイケル主将は試合後、涙の選手たちに「下を向く必要はない」と語りかけた。爽やかな表情で会見し「このチームのキャプテンができて誇りに思っている。応援を送ってくれたサポーターに感謝したい」。そして淡々と「日本はこれからもっと強くなる!」。
 4年後は「たかが8強か…」の声が聞こえてくるような進化、地力を期待したい。

◆日本中が盛り上がり、元気をくれたW杯。この後の日本ラグビー界も大事だ。プロ化構想も賛成だが簡単ではない、商業ベースにどう乗せられるのか…新たな方法は⁈
 その時には地域に根ざしたチーム作りで、政治が頼りない「地方創生」にぜひ一役買ってほしい!

日本ONE TEAM
<2019.10.21 S>

ノーベル賞 ”会社員”吉野氏

 スウェーデン王立科学アカデミーが2019年のノーベル化学賞を、リチウムイオン電池開発の旭化成名誉フェローで名城大教授の吉野彰氏(71)ら3氏に授与すると発表した(9日)。携帯型の電子機器を急速に普及させ、人類のIT(情報技術)社会・モバイル(可動性)社会発展に大きく貢献した。
 共同受賞者は米テキサス大教授のジョン・グッドイナフ氏(97)、米ニューヨーク州立大ビンガムトン校特別教授のスタンリー・ウィッティンガム氏(77)。
日本のノーベル賞受賞は2年連続で、計27人となった。

 ◆1983(昭和58)年、吉野氏はリチウムイオン電池の原型を開発した。ビデオカメラなど持ち運べる電子機器が普及し、高性能の電池が求められていた時代、研究を生活に結びつける実学だ。
 繰り返し充電できる性能を飛躍的に高めたリチウムイオン電池の登場で、その後携帯電話やノートパソコンが一気に普及、スマートフォンなど小型・高機能の電子機器を”生み出した”と言える。
 近年は人工衛星や電気自動車などにも使われ、再生可能エネルギーを有効利用する手段としても期待されている。

◆吉野氏は名誉フェローとして旭化成に在籍、いわば会社員・企業人ノーベル賞受賞者。サラリーマンで思い出すのは、田中耕一・島津製作所シニアフェローだ。2002年にソフトレーザーによる質量分析技術の開発で学士唯一のノーベル化学賞受賞者となった。
 この「フェロー」とは企業、大学、研究所、シンクタンクなどにおいて、特定の分野で極めて高い能力を持った人材に特別な待遇を与える人事制度。
 最近のノーベル賞選考は、身近な生活に直結した研究成果が重視される傾向でいいことだ。2012年にノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥・京都大学研究所所長・教授のips細胞(人工多能性幹細胞)も然りだ。

◆北野高校、京都大学卒で阪神タイガースファンの吉野氏。自身が理事長を務めるリチウムイオン電池材料評価研究センター(大阪・池田)での記者会見にも、関西人の粋があった。
 故郷・大阪への思いを問われ「大阪人には『なんとかなるわいな』という『柔』の姿勢がある」。研究については、執念を持って挑む「剛」と時には楽観的に向き合う「柔」のバランスが大切…「私にも、そうした大阪人としての気質が表れているのでは」と笑顔。

◆受賞一夜明けの「夫妻会見」がまた素晴らしい。ノーベル賞受賞者の「夫妻会見」はいつも、最高峰の研究者の見えない人間性をあぶり出し夫婦の深みが出る。と同時に、見る者をホッとさせてくれる。
吉野氏が久美子夫人(71)とのなれ初めを聞かれ、京都大学時代の考古学サークルの交流会で出会い「追っかけというのか、私の方がのぼせ上がって」と、一目ぼれだったと明かした。
 久美子夫人は「私はサラリーマンと一緒になったつもりでしたから…こんなことならもっと何もかもしっかり、サポートすれば…」。「(吉野氏の枕に)多くの髪の毛が付着していた。あの時期は苦しく、ストレスだったのかなぁ…」。吉野氏は照れたように「やるべきことを、ちゃんとやりました」。
 2人は飾ることなく自分の言葉で話した。今回のご夫妻の会見には、ひときわ自然体を感じた。
 そして吉野氏は、若い次世代へ「挑戦心を伝えたい。失敗してもええからやろうや」。

道究めて 人類に貢献
<2019.10.16 S>

島国の自然猛威 河川氾濫

 最大級の台風19号は、関東、東北、中部地方を舐めるように襲い、またも甚大な被害を出した。死者60人を超え行方不明者も多い…正確な数はなお分からない。東日本の自治体では警察や消防、自衛隊などが行方不明者の捜索などを続けた。

◆「命の危険・命を守る行動を!」を示す特別警報が1都6県に発令。気象庁が”しつこい”警鐘、JRは48時間前に異例の計画運休可能性を発表し、最小限に被害を抑えたと言える。
 しかし想定を超える事態も起こった。多摩川や千曲川、阿武隈川など47河川が氾濫したことだ。60カ所以上で決壊した。こうも川は弱かったか?…上空からのヘリ映像を見ると、どこからが川でどこが町なのか区別がつかず愕然とする。今なお多くの住民が孤立している。ライフライン、そして地中に溜まった水が再び溢れ出したり、遅れてやってくる土砂災害も心配だ。
 もはや「想定外」の言葉は通じず、自治体などは「想定外」を想定する準備・減災システムを構築する必要がある。一刻も早く点検、対処しなくてはいけない。

◆SNS(会員制交流サイト)で、「孤立している」「外部からの支援が届かない」などの呼びかけも多く発信された。このSNSを活用することも現代の一つの防衛策だ。同時に、災害時の”虚報”は厳に慎まなければならない。

◆国土の狭い島国日本。正確な情報を見据え、まずは準備と自衛を心がける。さらに自らの命は自ら守る意識を、より強く持たざるを得ない。
 そして国や自治体は激甚災害指定し、全力で物心両面の継続的支援を急げ!

想定外 問われる国力
<2019.10.15 S>

不滅の400勝投手 金田逝く

 プロ野球の国鉄、巨人で通算400勝を挙げた左腕投手・金田正一氏が死去した(6日)。86歳。巨人が発表、通夜・告別式は近親者のみで行われ(喪主は俳優の長男・賢一さん)、後日お別れの会を行うという。

◆金田氏はその名前の通り「正」に日本「一」、史上最高の投手と言える。
愛知県出身、1950年に国鉄(現ヤクルト)入りした。享栄商高中退のため、8月入団ながら速球と縦に落ちるカーブだけで8勝、51年から14年連続で20勝以上をマークした。対巨人、対長嶋茂雄に闘志を燃やし、立教大卒の黄金ルーキー・長嶋のデビュー戦で4打席連続三振を奪った(58年4月5日)のは、昭和の名勝負の一つだろう。
 巨人移籍5年目、通算400勝を達成した69年に現役引退した。これこそ前人未到と言える400勝、4490奪三振と298敗は史上最多で、沢村賞にも3度輝いた。背番号34は巨人の永久欠番になっている。

◆20勝投手さえ久しく出ない現代プロ野球界。直近の20勝投手は、2013年の楽天・田中将大(現大リーグ・ヤンキース)。24勝無敗という驚異的な成績は、記憶に新しい。
 セ・リーグには長く20勝投手が誕生していない。最後に20勝投手となったのは2003年、阪神・井川慶(現独立リーグ・兵庫ブルーサンダーズ)で20勝5敗だ。
 その20勝を20年続けないと400勝は達成できない…いかに凄いかが分かる。おそらく今後も破られることはない記録だろう。

◆打者としても類まれなものがあった。投手として登板しての36本塁打は史上1位、代打で2本の本塁打も記録、通算本塁打は38本。入団した1950年のプロ入り初本塁打は17歳2ヶ月、野手を含めて未だにプロ野球最年少記録だ。驚くことに、投手でありながら8度も敬遠されている。

◆金田氏は引退後1973〜78年、90・91年にロッテ監督で指揮、74年にはリーグ優勝と日本一に導いた。88年に野球殿堂入り。78年に名球会を設立し、2009年まで初代会長、代表幹事を務めた。
 74年の日本一には思い出がある。日本シリーズ・ロッテ対中日、当時はデイゲームだった。筆者は三重県の高校2年だったので、当然中日ファン。授業前、教室後ろの黒板に日本シリーズのスコアボードが書かれていた。最後列の同級生が学生服の内ポケットにしのばせた携帯ラジオ、イヤホンはそで口から耳にさし、得点を書き入れていく。1クラス45人の時代、皆がちらちらと後ろを見る。先生も見て見ぬふりをしてくれた…いい時代。

 その1974年、巨人のV10を阻んだ中日。優勝を決めた中日球場のマウンドに立っていたのは星野仙一。そしてその日の神宮球場では、ミスタージャイアンツ・長嶋茂雄がユニホームを脱いだ。翌日のスポーツ紙1面トップは20年ぶり中日Vを完全に押さえて、ミスタージャイアンツ・長嶋引退だった。

◆打撃の神様と呼ばれ、巨人V9監督の川上哲治氏は「最も速い球を投げる日本人投手は?」と問われ、「実際に見た中で言うなら、金田だと思いますね。若い頃はもう、本当に速かった」と答えている。
 日本最多安打3085の記録を持つ張本勲氏は「.あんなに速い球は見たことなかった。私の中では世界一の大投手。いつかあの世で対戦して、あの真っすぐを打ちたい」。

カネやん 野球人生全う
<2019.10.7 S>