あおり運転 法整備を急げ!

 茨城県の常磐自動車道で起きたあおり運転殴打事件。傷害容疑で指名手配されていた宮崎文夫容疑者(43)が大阪で逮捕された。
大阪市東住吉区のマンション付近で身柄を確保されたが、捜査員に囲まれた宮崎容疑者は「出頭させてくれ」と勝手なことを叫び抵抗を続けた。この模様は、テレビでも放映された。
 また一緒にいた交際相手の喜本奈津子容疑者(51)も、犯人隠避容疑で逮捕された。

◆8月10日、茨城県守谷市の常磐自動車道で男性(24)が運転する車を、「あおり運転」をし停車させた上、「殺すぞ」などと怒鳴りながら男性の顔を数回殴ってけがをさせた疑い。宮崎容疑者が車から降りて歩いてくる姿や暴力を振るう凶暴さ、喜本容疑者が携帯電話で写真撮影する姿がドライブレコーダーに記録されていた。テレビでも報道された。ドライブレコーダーの映像が早期逮捕の一役とともに、許せない非道な行為を明らかにし威力を発揮した。

 また宮崎容疑者の車には複数の傷があった。静岡と愛知でもあおり運転を繰り返していたとみられ、警察は裏付け捜査を急ぐ。

◆あおり運転を社会問題にしたのは、2017年の東名高速道。家族4人が乗った車が、あおり運転の末停車させられ、そこにトラックが追突し夫婦が死亡した。同乗の娘2人は奇跡的に助かった。石橋和歩被告に危険運転致死傷罪などを適用し、懲役18年判決。
 2018年には大阪・堺で、バイクの大学生があおり運転の末死亡した。検察は異例の殺人罪で起訴、中村精寛被告に懲役16年判決が出た。

 あおり運転の重大さが社会に浸透し、行政も対策にやっと動き出した。各都道府県公安委員会が昨年あおり運転で免許停止の行政処分としたのは42件で過去最多。道交法の車間距離保持義務違反(車間を詰め過ぎる)の摘発は、前年から倍増の約1万3千件に上った。

◆宮崎容疑者は大阪の名門校・天王寺高校を卒業、関西学院大学にすすんだ。2003年に親から土地建物を相続し不動産業を起業したという。
なぜ凶暴な態度に豹変したのか!?取り調べを待たなければならない。

 重い刑が確定し、免許取り消しとなっても現行法では約10年で再び免許を取得できる可能性がある。
こういう”走る凶器”による狂気的行為のドライバーは、二度と運転できないような法をつくるべきだ。

◆ドイツの繁華街で、2台が猛スピードの危険なカーレース。衝突しコントロールを失った1台が、交差点のジープに激突、運転の69歳男性が死亡した。裁判で、カーレースの運転手2人に終身刑と「一生涯の運転免許剥奪」が言い渡された。
 ドイツでは、裁判所が「運転に向いていない性格」だと認定すれば、事故の大小や刑罰の軽重にかかわらず「生涯運転禁止」にできる。社会の安全・命を守るためという理由だ。日本も参考にしたらどうだろう。
事象に追いつけぬ法、何とかならないか!?

法は弱者のため! 厳罰を
<2019.8.26  S>

終戦74年 令和に誓う

 大型台風10号が西日本を縦断した令和元年8月15日。終戦から74年、今年も東京・日本武道館で全国戦没者追悼式が行われた。天皇、皇后両陛下ご臨席のもと全国の遺族、安倍晋三首相らが参列し、先の大戦で犠牲となった約310万人の冥福を祈り平和への誓いを新たにした。
 新聞各紙は1面メーン見出しに「令和」を入れた。令和初、戦後生まれの天皇陛下のお言葉が注目された。

◆【天皇陛下のお言葉全文】
 本日、「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり、全国戦没者追悼式に臨み、さきの大戦において、かけがえのない命を失った数多くの人々とその遺族を思い、深い悲しみを新たにいたします。
 終戦以来74年、人々のたゆみない努力により、今日の我が国の平和と繁栄が築き上げられましたが、多くの苦難に満ちた国民の歩みを思うとき、誠に感慨深いものがあります。
 戦後の長きにわたる平和な歳月に思いを致しつつ、ここに過去を顧み、深い反省の上に立って、再び戦争の惨禍が繰り返されぬことを切に願い、戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し、全国民と共に、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。

◆お言葉にある「深い反省の上に立って」に、上皇陛下が述べ続けられてきた「深い反省とともに」が重なる。戦後生まれとして直接戦争を経験されていないが、上皇陛下、昭和天皇に連綿とつながり続く、そして未来への新たな深く強い思いが伝わってきた。

◆政府主催の全国戦没者追悼式は1952年(昭和27年、吉田茂内閣)から定着した。
 今年の遺族は4歳〜97歳、4989人が参列したが、その代替わりは年々進んでいる。昭和には過半を占めた戦没者の配偶者は5人、子がほぼ半分になった。戦後生まれが初めて全体の3割を超えた。わずか2%だが、18歳未満の参列者が100人を超えているのが救いか…語り継ぐを思う。

◆西太平洋パラオで負傷兵の看護にあたり、日本に引き揚げてからは長崎の原爆にも遭った96歳の女性は言う。「戦争体験は、自分が生きてきた証…話さないと」。

 忘れてはならない日本の暑い夏。せめてこの日この時期、日本人として思いを寄せたい。

つなぐ祈り 8.15
<2019.8.19 S>

163㌔佐々木朗希投手の夏

炎天の甲子園で、第101回全国高校野球選手権の熱戦が繰り広げられている。その全力プレーだけでなく、アルプススタンドの応援合戦、お国なまりの声援もまたいい。一方で、地方大会も含めた今年の全国参加校数は16年連続減少し3730校、部員が集まらず連合チームも86チームに上った。

◆春のセンバツと違い、夏は一発勝負。負けたら終わりの地方大会を勝ち抜いたチームだけが、甲子園の土を踏める。
その地方大会・岩手大会決勝戦が波紋を呼んだ。花巻東ー大船渡。
花巻東はエンゼルスの二刀流・大谷翔平やマリナーズ・菊池雄星を輩出した強豪校、大船渡は日本最速163キロの佐々木朗希投手を擁する。ところが、甲子園をかけたこの決勝戦で佐々木投手は登板せず、大船渡は2ー12で大敗した。

試合後、国保陽平監督(32)は「投げられる状態ではあったかもしれませんが、私が判断しました。故障を防ぐため」「球数や登板間隔、暑さ気温です」。国保監督の選手の将来を考えた一貫した起用法は勇気ある決断、時代にも合致…甲子園がすべてではない、将来こそ。だがチームとして、決勝戦で佐々木投手が投げられるローテーションはなかったのか⁈

高校ビッグ4、大船渡(岩手)の佐々木朗希投手、星稜(石川)の奥川恭伸投手、創志学園(岡山)の西純矢投手、横浜(神奈川)の及川雅貴投手…甲子園で見られたのは、158キロ星稜・奥川投手だけ。他の3人のピッチングも、やはり甲子園で見たかった。

◆プロ野球3085安打の記録を持つ張本勲氏は「残念、投げさせるべきなんです。監督と佐々木君だけのチームじゃない…」。これに対して、カブスのダルビッシュ有は「(張本氏の発言を)迷いなく、消してほしい」とツイートした。
後に鈴木大地・スポーツ庁長官が日程など含め「高校野球は変わらなければいけない」と求めたことに、「素晴らしい」「健康を維持し輝く選手が増えること。暑い中長時間の練習、何百球も投げさせるのは教育ではありません」。

◆かつて「神様、仏様、稲尾様」や「権藤、権藤、雨、権藤」と言われ、連投に次ぐ連投でシーズン35勝も上げた時代があった。時代だけでは片づけられない、そこにはいくつもの感動ドラマが生まれた。
現役選手としては”短命”に終わった権藤博氏は、後に監督となった時の采配は継投が多かった。投手の継投システムを確立したとも言える。

今年から後半に休養日をつくったが、給水タイムはもちろん高温時間帯の休みタイムなど臨機応変な運営を望む。選手の健康第一に…そして熱球のドラマを。

雄姿 次の舞台
<2019.8.12 S>

やっちゃった 笑顔のシンデレラ

渋野日向子選手が全英女子オープンゴルフで優勝を飾った。弱冠20歳。初の海外ツアー、それもいきなりメジャーVとは恐れ入った。樋口久子の1977年の全米女子ゴルフ優勝以来42年ぶりの快挙だ。

◆初日から2位につけ、あれよあれよと…最終日の18番ホールへの”花道”も笑顔で颯爽と、重圧などないようにバーディーを決めた。通算−18。そしてインタビューに「どうしよう、やっちゃった」。
今の海外ツアーへ道を開いた元日本女子ゴルフ協会会長の樋口は「まるで私たちの時代とまったく違う、新人類だ」と驚いた。

米通算17勝し賞金女王にも輝いた岡本綾子。女子ゴルフ世界ランキング1位になり、渋野が憧れた宮里藍でさえあと一歩で届かなかった。

◆1998年度生まれは女子ゴルフ「黄金世代」と呼ばれる。
渋野は全英女子までに5月、7月と国内2勝。15歳でツアーVの勝みなみ、米ツアー3勝の畑岡奈紗。河本結や原英莉花もすでに国内勝利をあげている…彼女たちはいきなり強くなったわけでなく、10代のアマチュア時代から身体能力、パワーとも十分にあった。

◆岡山出身、身長165㎝。8歳からゴルフを始めた。子どもの時から競技1本に絞る選手が多い中、中学校までソフトボール(投手・右投げ左打ち)との”二刀流”。今もゴルフよりソフトボールが好きと言う。体幹、リリースの筋肉に共通するものがあり生きている。

◆渋野の世界ランキングは一気にアップし14位、畑岡の10位に続き日本人では2番目につけた。横峯さくら、上田桃子ら先輩勢や「プラチナ世代(2000年度生まれ)」と言われる次の世代も追いかけてくる。
来年6月末の世界ランキングで決まる東京五輪代表…強く高いレベルの戦い、うれしい悩みだ。
日本女子ゴルフの黄金時代へ。

自然体の強さ 新時代
<2019.8.10 S>

天馬ディープ 死す

ディープインパクトが死んだ(7月30日)。17歳。人間でいえば52、3歳か。治療していた頸部の手術をし、翌日に突然起立不能に…レントゲン検査で頸椎に骨折が見つかり、回復の見込みが立たないことから安楽死処置が取られた。

◆競馬ファンでなくとも、ディープインパクトの名に記憶がある人は多いだろう。
2005年「無敗の3冠馬(皐月賞・日本ダービー・菊花賞)」。1984年のシンボリルドルフ以来、日本競馬史上2頭しかいない。
2004年〜2006年の3年間に全14戦12勝(G1 7勝)。残る2戦は、2005年有馬記念2着と世界最高峰・フランス凱旋門賞の3着入線(後に禁止薬物が見つかり失格)。

◆ディープインパクトを語るのに欠かせないのは武豊騎手(50)。互いに認め合い信頼し合った史上稀に見る名コンビ。デビュー戦から引退レース・2006年末の有馬記念まで、全14戦に手綱をとった。「死す」の報に武騎手は「私の人生において本当に特別な馬でした。彼にはただ感謝しかありません」と語った。
ディープの走法は、追い込み・差し。途中は中団から後方を走り、最後の直線一気に加速、次元が違うスピードで他馬を抜き去る。馬体の上下動が少なく沈み込むように駆け抜ける…武騎手の名言「空を飛んでいる」を生んだ。

◆競馬の世界を超えて社会現象にもなった。
「ディープー武」の姿は一種アイドル的であり、競馬場に若い世代が増え華やかさを加えた。ハイセイコー、オグリキャップ人気に続く、第3次競馬ブームをつくったといえよう。
競馬報道は、当時の新聞では専らスポーツ紙の領域だった。一般紙での競馬報道はスポーツ面の域を出なかったが、「ディープー武」は1面に写真付き、社会面でサイド記事と異例の扱いとなった。

◆引退後は種牡馬となり、牝馬3冠・ジェンティルドンナやダービー馬・キズナなどその子たちは大活躍し獲得賞金1位を続けている。

ディープの早い死は、競馬界に大きな損失だが、残した足跡は消えない。お疲れさん、ありがとう。
そして日本競馬界の悲願、ディープが挑んで叶わなかった仏凱旋門賞の優勝…その子たちが成し遂げる日を願って。

夢 時代”飛んだ”!
<2019.8.5 S>