イチロー引退  ”あっさり”と

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「こんなにいるの?  現役生活に終止符を打ち引退することになりました」
日米通算4367安打という野球界前人未到の記録を打ち立てた米大リーグマリナーズ・イチロー(45)が引退した(3月21日)。日米でプレーし続け今シーズン28年目を迎えた、数年ぶりの日本の地で”あっさり”と。
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◆愛知工大名電高校・鈴木一朗は、1991年のプロ野球ドラフト会議でオリックスブルーウェーブに4位指名で入団(1位指名は田口壮=関西学院大学)。同期に金本知憲(広島4位指名)・石井一久(ヤクルト1位指名)・三浦大輔(広島6位指名)・桧山進次郎(阪神4位指名)らがいる。
非力で細い身体の鈴木一朗は運命の出会いを得る。仰木彬監督。奔放、個性重視、「仰木マジック」とよばれる指導。そして”安打製造機”の異名をとった新井宏昌打撃コーチ…そこから世界の「振り子打法」が生まれた。選手登録名も「イチロー」になる。阪神大震災が起きた1995年、「がんばろうKOBE」を掲げオリックスとしてリーグ初優勝を飾る。
会見で、酒席の話も交え「仰木監督から学んだものは計り知れない」と語った。
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◆日本人選手は野手としては大リーグで活躍できない、と言われるなかマリナーズ入団。いきなり242安打で新人王、シーズン最多262安打、10年連続200安打、日米通算4367安打…偉大な記録も次々”あっさり”と塗り替え、はにかみながら帽子を取り片手を上げる程度。喜びも抑えた僧のようなストイックさ。
米で絶賛される松井と違い、無愛想との批判も浴びた。動と静、陽と陰などとも例えられた。だからこそ記録しかない思いで、ひたすら進むしかなかったイチローの苦しみ…それでも自然体でブレず歩んできた。
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◆日本球界で王さん、長嶋さんのように記録に残る選手、記憶に残る選手と例えられる。しかしどちらかなどあり得ない、両方だ。
政府は国民栄誉賞を授与する方向で調整に入っている。2001年(平成13年)と2004年(平成16年)に授与を打診されたが、現役を理由に固辞している。
マリナーズのディポトGMは「野球に関する頭脳は並外れている。マリナーズファミリーの一員として残る」と明言した。
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◆稀に見る素晴らしい85分間の引退会見…人間イチローの一言一言が胸に刺さった。
「(試合に出られなかった昨年…)それでもやってきた事、それがささやかな誇り」
「記録など大した意味はない、後から来る人に抜かれるもの。最も思い出に残る試合は、今日おいて他にない」
「(ホームでの試合前にいつも食べるおにぎり)妻に3000個まで握らせてあげたかった」
「(貫いたことは)野球を愛したということ」
「(子どもたちへ)夢中になるものを見つけてほしい、そうすれば壁に立ち向かうことができる」
「後悔などあろうはずがありません」
感謝がにじむ会見だった。いつの日か、日本プロ野球の監督の姿を見たい…「絶対無理」と言っていたが。
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ありがとう!日本にエール
<2019.3.25    S>

コンビニ 24時間必要か

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コンビニエンスストア「セブン―イレブン」の東大阪南上小阪店オーナー(松本実敏さん・57)と、本部のセブン―イレブン・ジャパンが24時間営業をめぐり対立していたが、本部側はこれまでの方針を撤回して「違約金や契約解除は求めない」と伝えた。
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◆南上小阪店は2018年6月から2019年2月までの間に従業員13人が辞め、松本さんは「1人で28時間働いたこともあった」。その状況を脱するため、人手不足を理由に営業時間を19時間に短縮したが、本部側はフランチャイズ契約に違反すると指摘し「違約金1700万円」を求められた。
後にコンビニオーナーでつくる「コンビニ加盟店ユニオン」がセブンーイレブン・ジャパン本部へ、どういう状況なら24時間営業をやめられるのかを話し合う団体交渉を申し入れた。酒井孝典委員長は「チェーンイメージが大切なのか、人の命が大切なのか考えてもらいたい」と訴えた。
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◆日本中にコンビニは約6万店。セブンーイレブンはトップで2万店を突破している。今や場所によっては100メートル四方にセブンーイレブン・ファミリーマート・ローソンが、しのぎを削っているのも不思議ではない光景だ。
一方で少子高齢社会の日本は労働力不足。外国人労働者拡大の改正入管法も成立した。現行法下でもコンビニには、多くの外国人が働いているが、ほぼ留学生のアルバイトに限られている(はず)。就職活動も解禁されたが売り手市場という事からも明らかだ。
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◆”時代の寵児”の如く、1990年頃から飛躍を続けてきたコンビニ。何でもあり手ごろ価格、誰もが足を運んだことのある便利な所。
かつて、セブンーイレブン・ジャパン古屋一樹社長は「セブンーイレブンとして、24時間営業は絶対的に続けるべきと考えています」と語り、社会的インフラとしての存在にもなっている側面も強調した。
本部側は今月、24時間営業の見直しへの実験を始めると明らかにした。全国で順次、午前7時〜午後11時までの短縮営業を実施するという。
◆言うまでもなく「契約の基に経済活動」が根本であり、利益は重要である。とは言え、地域・場所によっては大きく人出にも差がある…全てが24時間である必要はない。例えば、旗艦店は24時間、他は選択制などの手法もあろう。
少子高齢社会を迎え、痛みも伴うがもう拡大路線は?…個性路線などどうだろうか、新たな楽しみが生まれそうだと思うが。心強いインフラの側面を保ちつつ、時代に添って柔軟に変わるべきだ。
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近未来 生活に合わせて
<2019.3.18    S>

3.11 もう8年まだ8年

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あの日から8年が経った。

死者15000人以上、今なお行方不明者は2500人を超える。
小学6年生は20歳になった。生まれ育った故郷、我が家に未だ帰れない人も多い。
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◆2011年3月11日14時46分、産経新聞社の東京本社編集局。突き上げるようにガガガっと音を立て(そう思った)大きな揺れが来た。初めて命の危険を感じ、休憩中の10階から必死に階段を駆け下りた。外に出て数分、(紙面を作らなければ!という本能のようなものに押され)スプリンクラーから滴り落ちる水、まだギシギシと不気味な音の中階段を上って騒然とした編集局へ。
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「号外だ!」「何としても新聞を作るんだ!」怒号の中、十数分で「列島激震」大見出しの号外を作り上げ、すぐ朝刊本体の作成だ。
整理担当編集局次長として紙面作りだけでなく、新聞発行するため制作局・販売局・営業局との交渉責任者でもあった。見出しレイアウトの指揮と並行して、他局交渉にも追われる。間髪入れず次々と連絡が入る…仙台の印刷センターが壊れ稼働不能、新聞が刷れない。東京の印刷センターで印刷してトラックで運ぶしかない。さらに早く印刷するために、予定紙面を大きく減らし20ページに…広告も含め目いっぱい削りテレビ・ラジオ面、オピニオン面以外はすべて大震災ニュースにすると決断した。
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何度も余震に襲われるなか言葉を失う大津波映像、刻々と入ってくる速報。「巨大津波 東北壊滅」「首都混乱、いつ帰れる」「街が次々消えた」の黒ベタ(黒いバックに白い文字)大見出しが並んだ。深夜には福島第1原発爆発、放射線漏れ情報…午前2時過ぎの最終版を終えた記者たちの険しい顔が、頼もしく優しく見えた。
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◆この日から途切れることなく、東日本大震災の紙面づくりは続いた。記憶に残る紙面もある。
・3.11から50日目の大型連休初日、当番の編集長だった。
迷った末に1面トップは、爪痕が残る被災地仙台で行われたプロ野球・楽天ゴールデンイーグルスの”地元開幕戦”に決めた。各地を転々として試合をしてきた選手たちの全力プレー、スタンドには喪章をつけた人や涙するファン…何より湧き上がる歓声があった。
勝敗よりも試合ができる応援ができる、その気持ちを見出しにしよう。いくつも悩んだ結果、1面トップの見出しは「東北の底力  “お帰り”歓声」…被災地への読者への思いだった。
・3.11からほぼ1年後。社会面に小さい扱いだったが、グッとくる写真が載った。
笑顔の母に腕を引っ張られ照れ笑いを浮かべる、大きめの学生服を着た新中学生。入学式を終えて帰る途中の日常の写真に見えるが、周りに写る長屋風の家や帰る自宅は校庭に建てられた仮設住宅だった。見出しは「入学式 母と寄り添う帰り道」…記者の胸に迫る思い、エールが込められた。
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◆単身赴任の1Kルームに帰ったのは3日後。幸い積み上げっ放しの本、新聞が崩れて散乱、風呂の漏電くらいだった。その後も余震は続き、1階だったため何度も窓から逃げ出した。東北の被災地には比べものにならないが、東京も”もう一つの被災地”だった。
都会ゆえの弱さ…コンビニなど生活品不足、交通網寸断で帰宅難民。何より何度も電力不足に陥り、あわや首都東京ブラックアウト(全域停電)の危機さえあった。節電のため、地下鉄が長い間薄暗かったのを覚えている。人間はそれにも慣れるもので、地下鉄が明るく戻ったときには逆に電力は大丈夫かなどと思ったものだ。「普通」の有り難さを知った…。
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◆島国日本の「防災」、意識も高まっている。それでもやってくる自然災害。
8年前によく語られた「減災」ー災害時、ある程度の被害発生を想定した上で、その被害を最小化するための取り組み。準備、避難、連係、耐震、マップ、防壁・林などで減らすことのできる被害…「減災」もう一度、考えたい。
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伝えること 誰かのために
<2019.3.11    S>

米朝首脳 再会談”決裂”

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◆経済成長著しいベトナム・ハノイで、トランプ米大統領と金正恩北朝鮮朝鮮労働党委員長が再会談を行った(2月28〜29日)。しかし、合意文書で折り合いがつかず物別れ”決裂”し、予定されていた共同声明・宣言?も幻となった。仮にも一国の指導者が、世界注視の会談で何も残せないとは…。
自国内外も絡む、威信をかけた駆け引き会談。「完全な制裁解除」を求めた金正恩委員長に、トランプ大統領が拒否したと伝えられている。当然であろう。トランプ大統領が迫った寧辺の核施設査察・全施設公表を金正恩委員長ものめなかったと言われるが、まず北朝鮮への「完全な制裁解除」はあり得ない…ただ他にも何かあったのか!?
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◆今回の決裂は、中途半端な合意で米中韓の”仲間外れ”になるよりはよかったとの見方もできる。
朝鮮半島の非核化は隣国として当然重要であるが、日本にとっては「拉致問題」の前進・解決こそだ。トランプ大統領は拉致問題について、会談で2度触れたという報道もある…米を通しての道筋。いずれ歴史の時間が解明するはずだ。
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◆2002年8月30日、「小泉首相が北朝鮮訪問へ」と福田康夫官房長官が電撃発表した。9月17日、小泉純一郎首相が訪朝。国交のない北朝鮮へ、政治家は安倍晋三官房副長官だけで総勢7人という最少随行で”乗り込んだ”。
金正日北朝鮮総書記は初めて拉致について認め謝罪し「英雄主義者の暴走」と語った。一方で「5人生存、8人死亡」という返答も突きつけられた。北朝鮮は「横田めぐみさん、田口八重子さんら8人死亡」と一方的に通告してきたが、その後に遺骨が別人であったり、全く根拠のない点が次々と判明した。
そして10月15日、地村保志・富貴恵夫妻、蓮池薫・祐木子夫妻、曽我ひとみさんが祖国日本の地を踏んだ。政府チャーター機のタラップを降りる5人の姿は、今なお鮮明に目に浮かぶ。
あれから無情にも17年が過ぎた。
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◆最初の拉致報道は1980年、大先輩である阿部雅美記者のスクープだった。「アベック三組ナゾの蒸発」「外国情報機関が関与?」の大見出し、産経新聞朝刊1面トップ記事。が、他紙に追随する記事はなく日本政府も”無視”が続く。ようやく1987年、大韓航空機爆破事件から「拉致」が国際ニュースに、拉致被害者奪還運動へつながっていった。報道がなければ、今なお闇だったかと思うと…。
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◆最愛の家族を取り戻すべく闘い続けてきた、拉致被害者家族会会員も高齢だ。横田めぐみさんの両親、滋さん86歳・早紀江さん83歳。田口八重子さんの兄で家族会代表の飯塚繁雄さん(80)は「最後のチャンス」と語った…もはや待ったなし、一刻も早い具体的前進を望む。
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◆歩み寄ったかに見えた米朝会談”決裂”…皮肉な事に日本にとって、17年前の「小泉訪朝」の状況に似てきていると言えないか?チャンスなのかもしれない。
安倍晋三首相は「次は私自身が金正恩委員長と向き合わなければならない」。
日本の誇りをかけて、拉致被害者が帰るまで訴え続けて行く、つないで行く。
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諦めない 家族を返せ!
<2019.3.4    S>