甲子園応援の”お礼” ダメ?

3月23日に甲子園球場で開幕するセンバツ高校野球の出場校32校(一般枠28・21世紀枠3・明治神宮大会枠1)が1月25日決定した。
◆昨秋の四国大会4強だったが、センバツ出場がならなかった強豪高知商(春夏合わせ37回の甲子園出場)にちょっと気になる出来事があった。
高知商野球部員が、同校ダンス同好会主催の有料発表会にユニホーム姿で出演したことを受け、日本高野連の竹中雅彦事務局長は「日本学生野球憲章の商業的利用に抵触する」とし、野球部長に対して有期の謹慎処分を課す方針を審議委員会で決定した(1月16日)。センバツへ選考への影響はないと言明。
ダンス同好会は昨年12月17日に高知県立県民文化ホールで、入場料500円の発表会を開催。会には昨夏甲子園大会応援のお返しとして、引退した3年生部員だけがユニホーム姿でゲスト出演した。チアガールとして応援してくれたお返しに部員がユニホーム姿で、甲子園での試合の一場面を再現するパフォーマンスなどを披露した。何がダメなの? 青春の友情物語じゃないか?
竹中事務局長は「ユニホーム姿は好ましくないが、問題は有料であったことだけ。商業的利用で憲章違反になってくる。野球部長がダンス同好会の顧問を兼ねていて、野球部長が責任を負うべき問題」と説明した。部に対しての責は問わず「試合に出られないとかは一切ない」と話した。
高知商は「認識不足で軽率な行動だった。深く反省している」。
◆日本学生野球憲章は1950年に制定。制約された1932年(昭和7年)の通称「野球統制令」を基にしている。ようやく2010年、60年以上を経て初めて全面改正された。
プロと学生の試合解禁やプロによる技術指導など、根絶されていたプロ・アマ関係の改善の一歩を踏み出した。なぜこれほど時間がかかったのか不思議だ。
◆炎天の甲子園で必死に応援してくれたチアガールへのお礼。うっかりであれ、有料発表会が野球憲章に抵触すると知らなかった野球部長はお粗末。しかし、うっかりだったのか認識していたのか、詳しい言も待たなければならない。
一方であまりにも”杓子定規”的ではないか?甲子園大会の入場料と何が違うのか?
有料とは言えわずか500円。純粋な応援お礼としての野球部員の公演、しかも昨夏に引退した3年生だけ約10人。500円の入場料は県民文化ホールの使用料や舞台諸経費に充てるものだった。これが商業的利用、営利目的関与に当てはまるのだろうか。
◆学生野球憲章によって、日本の野球界が発展した点や一定の制約が必要なことは否定しない。しかし、意を唱える声は全くなかったのか? 残念でもある…ケースに合った柔軟対応の道はなかったのか。時代に追いつかないルール、時代を見つめて変わるべきだ。
情と規則 教育とは
<2019.1.28 S>

東京五輪 大丈夫か!

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◆あと1年半に迫った2020年東京五輪招致を巡り、贈賄の疑いでフランス当局の捜査を受けている日本オリンピック委員会(JOC)の竹田恒和会長(71)が記者会見を開いた。問題となっているコンサルタント業務委託には「違法性はない」と改めて潔白を主張した(1月15日)。
報道陣は約70社140人で外国人記者も多く、五輪が舞台となった疑惑に海外メディアの関心の高さをうかがわせた。報道陣の「質問を受けて下さい」の声を”無視”し、30分の予定をわずか7分間で打ち切り会見場を後にした。質疑応答も一切ない異例の会見となった。
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◆発端は、日本にとって悲願だった2020年東京五輪開催が決定した2013年に遡る。
当時の招致委員会(竹田理事長・JOC会長)がブラックタイディングス社(シンガポール)へコンサルタント料2億3000万円を支払った。東京五輪招致活動の一環として、国際陸上競技連盟(IAAF)前会長で国際オリンピック委員会(IOC)元委員ラミン・ディアク氏の息子、パパマッサタ・ディアク氏と関係が深いブラックタイディングス社。7月と10月に2回に分けて送金されたという。
招致決定が9月であることなどからこのコンサルタント料の一部が、アフリカ票などに絡みディアク親子への贈賄につかわれていたのではないかという疑惑だ。
ラミン・ディアク氏は、すでにリオ五輪招致をめぐる収賄などの疑いでフランス当局に起訴されている。
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◆最初に報じられたのは、3年近く前の2016年5月の英紙だった。そして昨年12月、フランス当局が捜査に着手し竹田会長はすでに事情を聴かれている。
フランスでは民間同士でも贈収賄が成り立つ。日仏の法の違いもあり海外から批判を受けた日産前会長ゴーン被告の長期勾留…フランスの報復かという声もあるが、当局の”捜査”が進んだと見るのが妥当ではないか⁈ 今後長期間の”捜査”の兆しも。いずれにせよ、イメージダウンを世界に発信してしまったことは間違いない。
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◆竹田会長は2009年の2016年東京五輪招致惨敗のときもJOC会長であり、長期にわたり同じ地位にいる。 潔白を主張するだけでなく、早くコンサルタント料の具体的資料を明らかにするべきだ。後手に回れば日本、ひいては近代五輪に激震となる。来年7月24日(東京五輪開会式)へまい進しなければならない。
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◆五輪は国際都市としてアピールできる場、さらに経済効果、放映権など莫大な金が動く。またコンサルタント会社などに頼らざるを得ないほど招致立候補国は動向が規制され、複雑で水面下でしかできないロビー活動。もっと明快にシンプルにならないものか。”商業五輪”と言われて久しいが、招致活動のたびに疑惑が持ち上がる。
IOCもJOCも襟をただし、いま一度立ち止まる時だ。
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クーベルタンが泣いている
<2019.1.21 S>

“霊長類最強女子” お疲れさま

レスリング女子、選手兼日本代表コーチの吉田沙保里さん(36)が引退会見を行った(1月10日)。
◆”霊長類最強女子”と言われ、五輪4連覇はならなかったが世界大会16連覇や国民栄誉賞の偉業にふさわしく、多くの報道陣が駆けつけた。リオデジャネイロ五輪以降試合に出場できていない吉田さんに対して、「今やタレントだ」と厳しい声もあった。しかし、日本女子レスリングを世界一流と認めさせ、引き上げ保ち続けた功績は揺るがない。今の日本女子レスリング黄金時代の礎を築いた。
白のジャケットで登場し、約40分間会見した姿は清々しく見えた。「もうレスリングは全てやり尽くした」「リオの銀のとき、負けた人の気持ちはこうだったんだ…」「(子どもたちへ)最後まで諦めない気持ちを」など、質問する記者に向き直して答えた。
パワハラ・暴力問題に揺れたレスリング界。栄和人元監督に対しても「私を強く育ててくれた」と、きっぱりと感謝の言葉だった。3歳からレスリングを始めた地、故郷・三重に対しても「応援していただき、励みになった」…同郷の1人として嬉しかった。その自然体にレスリングの強さというより、精神面の強みを感じた。
◆会見での言葉抜粋。
「私、吉田沙保里はこのたび、33年間のレスリング選手生活に区切りをつけることを決断いたしました。…日々迷いながらここまで来ました。また若い選手たちが世界の舞台で活躍する姿を多く見るようになり、女子レスリングを引っ張っていってもらいたいという思いにもなりました。あらためて自分自身と向き合った時にレスリングはすべてやり尽くしたという思いが強く、引退することを決断いたしました」
―お父さんにはどう報告?
「引退会見するとか父は思っていなかったのでびっくりはしていると思う。でもこういう形で応援してくださった国民の皆さん、ファンの皆さんに感謝の気持ちを伝えることは大切なことだと思うので、この場を設けさせていただいたのですが、本当によく頑張ったというふうに天国の方から言ってくれていると思います」
―次の夢は?
「いろいろありますが、レスリング一筋でここまで来たのでレスリング以外のこともやっていきたい思いも強いですし、やっぱり女性としての幸せも絶対につかみたいなって思ってます。来年の東京五輪もありますので、自国開催でもあるのでそこで盛り上げていけたらという思いも強いです」
◆テレビ番組に出演した吉田さんは、「最も影響を受けた選手」について語った。引退会見で質問がなく、触れる機会がなかったという人物の名前を挙げた。2学年上の山本聖子選手(夫はメジャーリーガー・ダルビッシュ有)だ。対戦成績は5勝5敗。10代の頃、吉田さんは山本選手が「ずっと勝てなかった相手」「雲の上の人」で、名前を聞けば戦う前から勝てないと感じた存在だったと話した。
レスリング人生で最も印象に残っている試合も、山本選手と戦った2003年の全日本選手権決勝。勝ったほうが女子レスリング初の五輪出場を果たすという天覧試合で、吉田さんは「ライバルであった山本選手に勝った瞬間は『これで代表になれる』とうれしかった」と振り返った。以降、吉田さんにライバルと呼ばれる選手は現れなかったのではないか!?

◆リオ五輪で銀メダルに終わった後、母の幸代さんに抱きつき「お父さんに叱られる」。その母は「霊長類最強女子と言われますが、私にとっては可愛い娘」と静かに語った。報告のとき「あなたが決めたのなら…」と涙はなかったという。
そして父であり師・栄勝さんの急死から約5年になる。それも一つの区切りになったのではないか。吉田さんの強さの根本は家族への絆、思い…。
誠実に 継ないだ夢
<2019.1.14    S>

新年一般参賀 お出まし7回

◆新年恒例の一般参賀が皇居で行われた(1月2日)。平成最後ということもあり、参賀者は15万4800人と過去最多だった昨年の12万6720人を大きく上回った。

宮内庁の予定では、お出ましは5回の予定。ところが一般参賀入門を望む人の列は延々と続き、6回目を実施し、終了の案内を行った。それでも人々の列は止まなかった。その様子を見られた天皇皇后両陛下が、お出まし追加の意向を強く示され急遽7回目が実施された。国民に常に寄り添って、平成を歩んで来られた両陛下の想いがにじむお出ましだった。天皇陛下は「本年が少しでも多くの人々にとり、良い年となるよう願っています。年頭にあたり、わが国と世界の人々の安寧と幸せを祈ります」と述べられた。

陛下は4月30日に譲位され、退位礼正殿の儀を経て全ての公務を皇太子さまに譲られる。退位は江戸後期の第120代光格(こうかく)天皇が1817年(文化14)に仁孝(にんこう)天皇に譲位して以来、202年ぶりで近代以降では初めて。

5月1日から新元号となる。

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◆1月4日には安倍晋三内閣総理大臣が伊勢神宮を参拝後、年頭記者会見を行った。新元号の公表を、4月1日の閣議決定後に表明すると言明。当初は4月11日の予定を、国民生活に直結するシステム変更などを考慮し前倒しする。

他にも北方領土問題の進展、10月の消費税増税10%、少子高齢時代の社会保障、憲法改正議論、夏の参議院選挙などにも触れて決意を述べた。

この国の未来、真摯に舵取りを願う。

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◆御代替わりの歴史的な年。巷では新元号へ興味が及ぶ。「平成」の文字を、当時の小渕恵三官房長官が掲げたのをなお鮮明に覚えている。

元号の条件を挙げるならば・国民の理想として良い意味を持つもの・漢字2文字で書きやすく読みやすい・過去の元号で使われていないもの ・世間一般で日常使われていないものーとなる。元号法では元号を政令で定めるとしている。具体的な決定方法は定められておらず、「平成」のときは、漢文学や国文学関連の大学教授ら有識者が候補→内閣官房長官が選定→閣議で協議→国民を代表する衆参両院議長の意見→閣議決定という順序だった。

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◆世界中で元号を採る唯一の日本。明治以降は「天皇一代」につき元号を1つとする「一世一元」が原則となった。

元号は645年「大化」から「平成」まで247を数える。ほとんどが漢字2字で表されるが、歴史上まれに3字、4字、6字の組み合わせもあった。採用された字はわずか72字で、そのうち21字は10回以上も用いられている。最も多く使われた文字は「永」で29回、2番目は「天」「元」のそれぞれ27回、4番目は「治」で21回、5番目は「応」で20回。「平成」の「平」は12回目で「成」は初めて使われ、「昭和」の「昭」は1回「和」は19回使われている。

一方、ローマ字でいくと明治M、大正T、昭和S、平成がHなので「MTSH」以外からとの見方も。ネット上でも推測や多くの案が飛びかっている。

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◆元号は存在感としては薄れてきているかもしれない。しかし1300年以上の長い歴史を積み重ねてきた元号には、時代区分というだけでなく伝統や文化の重みもある。国際社会の中の日本には、様々な背景や考えを持った人たちが集まり、新たな「日本らしさ」を模索する時代の一歩と言えるかもしれない。いま改めて、日本の元号に思いを寄せることは意義深い。

日本人として敬愛と感謝をもって寿ぐ。

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新たな元号 時代に寄り添い

<2019.1.7    S>

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*新年おめでとうございます。

改元の年、変わらぬ喜怒哀楽を大切に伝えて行きたいと思います。よろしくお願い申し上げます。