第100回 輝いた君の夏

◆第100回夏の高校野球は8月21日、大阪桐蔭(北大阪代表)が金足農(秋田代表)に13-2と大勝し、史上初の2度目の春夏連覇で幕を閉じた。金足農は秋田県勢で第1回大会以来103年ぶりの決勝進出。しかし初の東北勢優勝の悲願はかなわなかった。

常勝軍団vs.雑草軍団の決勝戦、ひときわ公立の農業高「カナノウ」は日本中を沸かせた。

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◆100回を数える記念大会は、一方で「初」の出来事が多かった。

「雑踏事故防止のために」外野席を有料化し500円(子ども100円)、アルプス席などの料金も引き上げた。それでも甲子園総入場者数は過去最多、初めて100万人を超えた。

雨で順延0日の酷暑。試合中に選手たちがペットボトルの水を飲む姿が見られた「給水タイム」を設けた。

延長13回表からは、ノーアウト1、2塁で始める「タイブレーク制」。体力の消耗を防ぎ勝敗が早くつく、賛否はあったが実施された。史上初は第2日、佐久長聖(長野)―旭川大(北北海道)。先頭打者が送りバントで、攻め方がほぼ決まってしまうが…導入は成功だったといえる。

◆準優勝・金足農の中泉一豊監督は、5回12失点で降板したエース吉田輝星投手について「もっと早く代わらなければいけないところだったが…できれば最後まで放らせたかったが、将来もある子なので」と交代の理由を語った。

吉田輝星投手は「もう俺投げられない」と言ったという報道がされた。口には出さなかったが満身創痍の甲子園881球、地方大会を含めると1517球だった。

せめて決勝は、1、2日空けて試合できるシステムを作ってやるべきではなかったか。

米国で報じられた「虐待」とまでは言わないまでも真夏の連投、もう再考するべき時代だ。過密日程を組む、主催側の思いやりが欠如している。

チームとしては、なぜリリーフ投手をつくれなかったのか。投げ続け投げ切る試合は、歴史を振り返ればそこにドラマが生まれたり、皆胸を踊らせた…だが若者の未来を思う、それも指導者の一使命ではないのか。

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◆「見よ草の芽に 日のめぐみ
農はこれ たぐひなき愛…われら拓かむ」(抜粋)

故郷へ届けとばかり、金農ナインが背をそらせ高らかに校歌を歌った姿も清々しい。

決勝戦後、吉田輝星投手「亮太のリード、捕球があってこそ自分の投球」。菊地亮太捕手「吉田がいたからこそ、ここまで成長できた」。いろいろなものを呑み込んで、心打たれる言葉だ。

◆平成最後の甲子園56校の16日間、そして全国3789校の熱戦だった。

がんばった!感動の夏

<2018.8.27    S>

あおり運転 殺人起訴

お盆の道路渋滞の時期も過ぎた。家族や大切な人を乗せた運転に神経を使い、帰ってグッタリという人も多くいただろう。命にかかわる車の運転…なのに許しがたい行為が後を絶たない。

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◆大阪府堺市で乗用車にあおり運転の末追突され、バイクの大学生(22)が死亡した(7月2日)。大阪地検支部は、運転していた中村精寛容疑者(40)を殺人の罪で起訴した(7月23日)。クラクションを鳴らし1分間追跡、時速100㌔㍍近いスピードで追突。その後、中村容疑者は酒を飲んでいたことも分かった。許せない”殺人行為”だ。

殺人罪適用は異例だが、「過失でなく殺意があった」とした地検の判断は妥当である。

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数日後、愛知県岡崎市では高速道路で「あおり運転」などを行い、ほかの車を急停止させたとして大学生(19)が暴行容疑で逮捕された。この行為はさらなる命の危険をもたらした。この2台に後続の計5台が絡む事故が起きたからだ。

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◆あおり運転が大きな社会問題となるきっかけは、2017年6月に起きた東名高速道路の夫婦=萩山嘉久さん(45)・友香さん(39)=死亡事故。注意された腹いせに石橋和歩被告(26)が執拗なあおり運転の後、一家が乗ったワゴン車を無理矢理停車させ、そこに後続のトラックが突っ込んだ。石橋被告は喜久さんの胸ぐらをつかむなどの暴行にも及んだ。長女と次女は奇跡的に助かった。

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◆”奇跡”といえば、8月1日に起きた奈良の商店街暴走もそうだ。数人がはねられ重大事故になった可能性は極めて高い…なぜ道路交通法違反(最高刑懲役5年)で済むのか、まったく理解に苦しむ。

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◆あおり運転によって交通事故を起こし、相手を死傷させてしまった場合には、危険運転致死傷罪が適用され、以下の罰則が科せられる。
・負傷事故で最長15年以下の懲役
・死亡事故で最長20年以下の懲役(場合により最長30年以下にも)
・免許取り消し、欠格期間5~8年の行政処分
重罰だが、被害者やその家族からしてみれば、わずか10~15年で加害者が解放される、再びハンドルを握ることもできるということに、到底納得はできないはずだ。
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◆東名高速道路事故から1年後。

両親を亡くし奇跡的に助かった長女(16)が、思いを手紙に綴っている。

「毎晩思い出してしまうので、今でも辛いです。自分でもよくここまで生きていたと思います」。

「両親には何度も今までのことを手紙に書こうと思ったけど思い出すたびに涙があふれ、棺に手紙を入れてあげることさえできませんでした。今回も短くしか書けませんが、事故直前まで幸せに生きてこられた感謝と、もしただの骨ではないなにかになっているのだとしたら、幸せであってほしいということを伝えたいです」

そして手紙は、こう締めくくっている。

「今後、このくだらない事故が少しでも世の中をよりよく変えてくれるなら無駄ではないと思えます。だからそのような人が減っていってほしいです」。

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◆事象に追いつけない法、弱者に寄り添えない法、一刻も早く幅広い適用・整備をするべきだ。

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法よ 人のために!

<2018.8.20    S>

73回目 命つなぐ夏

広島(8月6日)と長崎(8月9日)に、平成では最後となる73回目の「原爆の日」がきた。

◆いずれも安倍晋三首相、被爆者や遺族、各国代表らが参列し平和を祈る式典が行われた。長崎では、初めて国連のグテレス事務総長も参列し「長崎を惨禍で苦しんだ地球上最後の地にしよう」と呼びかけた。松井一実広島市長、田上富久長崎市長ともに「核兵器のない世界の実現へ国際社会の行動・責任」を求めた。

しかし、いぜん核保有国は現存する。五大国(米、英、仏、露、中)やインド、パキスタン、北朝鮮…まして日本は”核に囲まれている”という現実下にある。

◆新聞各紙には「核廃絶、平和誓う」「風化させぬ」など、例年と変わらぬ大見出しが並ぶ。まるで去年のコピーのようなものまである。”大局報道”分からなくはないが…伝わってこない。

◆広島の平和記念式典で子どもを代表し、米広優陽君(市立五日市東小6年)と新開美織さん(市立牛田小6年)が「平和への誓い」を宣言した。「僕らが原爆の事実を受け継がないと、今まで被爆者の方が語ってきてくれた意味がなくなってしまう…私たちが学んで心に感じたことを伝える伝承者になります」。猛暑の青空に大きな声が響いた。聴く者の心にも響いた。伝わった。

長崎では「高校生平和大使」ら国内外の高校生ら120人による”若者集会”も行われた。全員で黙とうした後、原爆投下中心地を示す碑を囲んで手をつなぎ「人間の鎖」をつくった。米ハワイ州から参加した女子高生、ブルーク・ボルトンさん(17)は「世界の若者が連携することで、平和な世界に変えていけるはず」と思いをぶつけた。

◆被爆者(被爆者健康手帳所持者、2018年3月末現在)は15万人以上で年々減少、平均年齢は82歳を超えた。

8月6日、86歳女性が広島女学院高等女学校修了証を授与された。13歳1年生のとき被爆した内田瞳さん(86)。両親を亡くし幼い弟妹を養うために、学業を諦め働いた。「これで胸を張って女学院の生徒だったと言える。子どもや孫にも見せたい。宝物です」。

5歳のとき広島で母妹を亡くし、4年前の豪雨土砂災害では、救助隊員に「妻を先に助けてくれ」と懇願した夫を失った。自身も左足切断の大けがを負った宮本孝子さん(78)は言う。「夢や希望のある若い子が、同じ目に遭ってはいけないじゃろ」。

◆悲惨な事実を見つめ、生きてきた道のりを思う…それが忘れないこと、命をつなぐこと。せめて、毎年巡りくるこの暑い夏には。

明後日8月15日は「終戦の日」。

二度と起こさない  伝える夏

<2018.8.13    S>

歌は世につれ 世は歌につれ

◆ボブ・ディラン(77歳・1941年生まれ)が7月29日、ノーベル賞受賞後初の日本公演を行なった。新潟での野外音楽イベント「フジロックフェスティバル」の最終日に登場し、エンディング「風に吹かれて」など16曲、文字通り風に吹かれて聴くファンを魅了した。

2016年、ミュージシャン初のノーベル文学賞受賞は世界を驚かせた。受賞理由は「偉大な米国の歌の伝統の中に、新たな詩的表現を創造した」だったが、政治的活動も影響したことは否めない。

◆歴史にifは空しいが、もし生きていたら先に受賞しただろうと思うミュージシャンがいる。ジョン・レノン(1940年生まれ)。

1980年12月8日ニューヨーク。元ビートルズメンバーでソロ音楽家、政治・平和運動でも世界的名声を得ていた40歳のとき射殺された。妻ヨーコ・オノと帰宅した高級集合住宅入り口で、幼少期にビートルズ好きだったマーク・チャップマン(25)の銃弾に倒れる。その6日後、ヨーコの呼びかけに応えた数百万の人々が世界中でジョンを追悼し、10分間の黙とうを捧げた。ニュースとして世界へ流れ、日本でも伝えられたのを覚えている。

世界の同じ時間に、数百万人の心をつかむ。そんな人間がいただろうか、政治家でもいまい。

◆青春時代、日本ではフォークや歌謡ポップス全盛だった。団塊世代でもなく新人類でもない、自虐的に?言えば”中途半端な世代”か。

同世代といえば中3トリオ。山口百恵が引退したとき、恥ずかしながら「青春の区切りか」などと感じた。くすんだ心と希望が交錯したアリスの「遠くで汽笛を聞きながら」、かぐや姫の「22才の別れ」は地で行った。ポプコン・グランプリ受賞の中島みゆき「時代」や、忘れ得ぬ人が浮かぶ荒井由実の「卒業写真」…聴けば不思議とその時代・人・情景が迫ってくる。気づかずに癒やされ、背中を押してくれていた。

◆そんな1970年代に歌謡界を牽引した「新御三家」の一人、西城秀樹(63)が5月16日死去した。

高校の音楽室、ヒデキをまねてスタンドマイクを蹴り上げていた。とにかくカッコよかった。2度目の脳梗塞のあとの姿に、ファンからは「見たくなかった」の声が聞かれた。それでも自分を”晒し”ステージに立ち、病気のことも語り続けた。最期までカッコいいじゃないか。

東京・青山葬儀所での告別式には、喪服のオッさんオバさんら(失礼)1万人以上が集まった。出棺のとき♫ブルースカイブルーが流れ、外苑東通りまで大合唱が響き渡った…今も時々思い出す、演出を超えた”ラストコンサート”だった。

できるなら、80歳のYOUNG MANが見たかった。

◆「歌は世につれ世は歌につれ。時代を超えて語り継ぎたい歌がある」…それぞれに、それぞれの時代がある。涙して励まされ、そして皆見えない力をもらった。

歌っていい!いつの世も。

<2018.8.6 S>

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「ニュースキャプテン 喜怒哀楽」―事実は小説より奇なり!?ニュースや日々の出来事に目を凝らし、喜怒哀楽を伝えていきたいと思います(毎月曜予定)。