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8/28(水)キャプテンの一言

2013/08/28 水曜日 - 22:28:20 by captain

▼きょうのニュースにも登場した世界文化遺産
(古都京都の文化財)に登録されている京都・
二条城の唐門(重要文化財)がきょうから
1年半の修理を終えて一般公開された。
そこには謎の重ね紋が存在した。唐門の屋根の
軒下に12カ所ある天皇家を表す菊の紋を
調べたところ、菊の紋の金具の下から徳川家の
家紋である葵の紋が見つかったという。
元離宮二条城事務所は「なぜこの部分は上から
金具をかぶせたのか分からない。江戸から明治への
激動の歴史を刻む唐門をぜひ見てほしい」と
話している。現在の二条城は江戸幕府を開いた
徳川家康が京滞在中の宿として作られたもので、
1867年の大政奉還によって朝廷の管理下に入った。
17年後に天皇家の別荘「二条離宮」になった時、
菊の紋の金具が取り付けられたと見られているが、
葵の紋を残したことについては謎である。

▼二条城には明治までに4つの歴史がある。
第1は室町幕府13代将軍・足利義輝(松永久秀に
襲撃されて命を落とす)の居城としての
「二条御所武衛陣の御構え」、第2の時代は、
室町幕府15代将軍・足利義昭の居城で
織田信長によって建てられたもの。
「二条御所」と呼ばれたが二条通には面して
いなかった。第3は、その信長が京の宿舎と
したのち、皇太子に献上した「二条新御所」で
二条の地には関係なく、名称を受け継いだもの。
そして第4が先に示した徳川家康によるもの。
徳川幕府は京都の治安維持などに京都所司代を
置いたが、二条城は使わせなかった。
将軍上洛の時のみ使われたらしい。

▼京都所司代は治安維持、朝廷・公家の監察、
西日本諸大名の監視などさまざまな職務が
与えられていて、初代・奧平信昌から56代・
松平定敬まで続いた。もちろん譜代から
選任され3万石以上の大名が有資格者だった。
江戸中期からは老中への登竜門的なものとなり、
地位のみ高く実力が伴わなかったため、幕府は
所司代の上に京都守護職を置いた。この職制で
有名なのは、NHK大河「八重の桜」の八重の出身、
会津藩主・松平容保だろう。混乱の勤皇佐幕の時代、
公武合体に賛意を示していた孝明天皇が存命して
いればまだしも、明治も16年にもなってからの
修復で菊の紋と葵の紋が同居していたのは
不思議というより謎というしかない。