サニブラウン 9秒97も通過点

陸上のサニブラウン アブデル・ハキーム選手(20歳、米フロリダ大)が6月7日、テキサス州で行われた全米大学選手権の男子100メートル決勝で3位に入り、9秒97の日本新記録をマークした。桐生祥秀選手(23)が2017年に記録した9秒98をぬり替えた。
身長188㎝の恵まれた肉体を生かしたストライド走法、日本選手として稀な後半加速型。100m決勝では、練習を重ねてきたスタートが決まり、それゆえに後半微妙な力みが出た。「もう少しいい記録が出たかな」とあっさり。未完の大器だ。

◆この全米大学陸上選手権は、将来のオリンピック、世界陸上のメダリストを占えるほどレベルが高い。決勝は、サニブラウン選手を含め9秒台の自己ベストを持つ選手が4人も出場。100メートル、200メートルの2冠となったナイジェリア出身のディバイン・オドゥドゥル選手(22歳、テキサス工科大学)は、100メートルで今シーズン世界最高タイの9秒86、200メートルも世界3位の19秒73。100メートル3位サニブラウン選手の9秒97も今シーズン世界6位だ。

現に、歴史に名を刻む数々の名スプリンターたちがこの全米大学選手権タイトルを手にしている。1981年に優勝したカール・ルイスは、その後世界記録を出しオリンピックで9つの金メダルを獲得した。1990年優勝のリロイ・バレルは、世界記録を2回更新している。

◆サニブラウン選手は、優勝した400mリレーの約50分後に100m決勝、その約45分後に200m決勝と、疲労の中ハードなレースに結果を出した。日本を離れ生活環境も一変、厳しい競争の場に自ら置いた。心身ともに成長著しい。学生生活の中、コーチ・食指導・身体フォローなど万全とは言えない…まだまだ伸びる!

◆スポーツ界の明るい光、日の丸を背負い世界を舞台で活躍する”ハーフ選手”たち。サニブラウン選手だけでなく、テニス・大坂なおみ選手、NBAドラフト指名が楽しみな八村塁選手ら…嬉しく期待が膨らむ一方だ!目前の陸上日本選手権には、サニブラウン、桐生、山県、小池…日本史上初の9秒台決着だ。来年の東京五輪では、暁の超特急・吉岡隆徳さん以来88年ぶりの100mファイナリスト。いや初のメダリスト…ということは、400mリレーは金メダルか⁈

表彰台 日の丸が見える

<2019.6.17 S>

中国共産党 揺らいだ日

 

1989年、中国北京の天安門広場は血に染まった。民主化支持者の胡耀邦元総書記の死去をきっかけに、学生中心に政治改革を求める運動が拡大、6月4日に中国政府は武力鎮圧を強行した。戦車の前に丸腰で立つ若者の映像は忘れがたい。
この「血の日曜日」から暫く後、中国当局はようやく死者数を「319人」と公表、海外の報告では1千人以上、1万人規模という推計もある。

当局は「天安門事件は動乱。ソビエト崩壊のようにならず、正しい選択だった」と明言、世界に発信した。

◆30年経った今なお死者数さえ明らかにせず、全容の公表はない。それどころか、中国国内ネット情報では「天安門」は検索できない。若い世代は、6.4に何があったかさえ知らない。今や世界第2位の経済大国になったのは、共産党一党政治のお陰と思っても不思議はない…。
当時、学生リーダーだった王丹氏(50)は「(人権状況は)天安門事件前よりも、はるかに悪くなっている」。
裏返せば、中国共産党の力は強く統制も強くなったということだ。

◆1989年は、世界で社会主義体制の転機を迎えた時。11月には東西ドイツ統一の「ベルリンの壁崩壊」が起きている。
日本国内はリクルート事件や消費税導入で竹下内閣が退陣、引き継いだ宇野内閣(参院選惨敗、女性問題で69日間の短命内閣)だった。そして海部内閣は欧米の対中経済政策に同調したまではよかったが、いち早く円借款凍結の解除を打ち出した。国際社会の”制裁”が続いていれば歴史は変わっていたかも、とまでは言わないが…。

◆国境なき記者団が毎年公表している「報道自由度ランキング」によると180ヵ国中、中国は177位。今年も外国人記者たちは天安門広場に近づけなかった。
目前の大阪G20。任期制廃止を唱えた習近平中国主席も来日する。経済、尖閣、ガス田問題…「人権」にも日本は堂々と意見を!

歴史の惨劇 消してはいけない
<2019.6.10 S>

ぽっぽや 降旗監督逝く

高倉健主演の「鉄道員(ぽっぽや)」「あ・うん」や「網走番外地」シリーズなどを手がけた日本を代表する映画監督、降旗康男さんが20日亡くなった。長野県出身、84歳。
2016年に遺作となった岡田准一主演「追憶」(17年公開)の撮影終了後、しばらくしてパーキンソン病を発症。療養中の今年4月に体調を崩して入院後、肺炎を患い…通夜、告別式は故人の遺志により無宗教で近親者のみで執り行った。愛飲していた日本酒「久保田 千寿」と愛用のメガネ、愛用の時計を祭壇に供え、大好きだったポルトガルの民族歌謡「ファド」を流したという。
◆鉄道員(ぽっぽや)。
廃線間近の北海道ローカル線が舞台。17年前まだ幼かった一人娘の雪子、そして妻の静江(大竹しのぶ)が亡くなった日も仕事をこなし、駅のホームに立ち続けていた駅長・乙松(高倉健)。定年目前、ホテルへ再就職するよう誘われるが、鉄道員でなくなった自分など想像できなかった。友人の駅長(小林稔侍)が言う「横すべりでホテルの役員に収まる半端な俺とは格が違う。あれが、ほんとのぽっぽやじゃ」。
黙々と業務をこなす乙松の前に小さな女の子が現れ、手には亡き娘・雪子にあげたものとそっくりの人形。次には「妹の忘れた人形を取りに来た」と、12歳の少女が駅舎に…そして続いて、女子高生(広末涼子)が制服姿で姿を見せる。女子高生は本当に鉄道が好きらしく、2人は誰も来ない駅舎で話を弾ませ、乙松のために鍋まで作ってくれた。「私、鉄道の人のお嫁さんになるのが夢だから」…乙松は、もういつ死んでもいいと少女にこぼす。死んだ雪子が幽霊となって、17年で成長していく姿を見せに現れたのか、強く抱きしめる乙松に雪子は微笑んで抱き返す。翌日駅のホームには、冷たくなった乙松の亡骸が雪に埋もれ、ラッセル車の乗員が発見した。
雪の駅、片田舎の自然・情景、何気ない会話、そして喜怒哀楽…時折流れる「テネシーワルツ」(高倉健さんの亡き元妻・江利チエミさんのヒット曲)もまた、”にじみ出る味”があった。
◆鉄道員(1999年公開)を初めて観たのは2001年。父が亡くなりすぐの年明け2001年2月、新聞社デスクとして大阪本社から東京本社へ異動となった。学生時代以来20年ぶりの東京生活。2001年は重大事件の多い年だった。アメリカ同時多発テロ、附属池田小事件、新宿歌舞伎町火災、明石花火大会歩道橋事故…「君が東京に来てから、事件が多い!」と、厳しくも嬉しい声を浴びた。そんな中楽しみの一つは、いつしか週末のビデオ観賞になった。
◆近くのレンタルビデオ店で毎週数本借りては1週間かけて観る…そんな怠惰な父を見かねてか、娘(当時9歳)に「そんなに映画が好きなら、得点でも付けたら」と言われ、大学ノートに5点満点の点数をつけ感想を書き始めた。
映画はシナリオ、役者、映像、そして人それぞれの思いによって感動も違ってくる…数本しかない5点満点が「鉄道員」についている。
亡き娘が生きていればの想定で、幼い時、女学生の時…入れ替わり現れるシーン、極めつけは父と娘の最後の会話。苛まれ続けた不器用で寡黙な父(高倉健)に、娘(広末涼子)が語りかける。「ありがとう、お父さん。ゆっこ(雪子)は幸せだよ」…泣けた。
不器用で一筋、日本の映画監督がまた逝った。
映画の魅力 今もなお
<2019.6.3    S>
*「ニュースキャプテン喜怒哀楽」2年目に入りました。思いを大事に続けていきたいと思います。*高岡美樹の「べっぴんラジオ」でニュース解説も始めました。
引き続きよろしくお願いします。S

折れない心 2人の選手

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◆白血病闘病中の競泳女子池江璃花子選手(18)が、公式ホームページ(https://www.rikako-ikee.jp/)を開設して自筆メッセージを寄せた(5月8日)。ほぼ2カ月ぶりの発信となった。
「治療は順調に進んでいます。体調が良い時は、今までやらなかったぬり絵やパズルをやったり、映画を観たり、泳いでた時は出来なかったことを楽しむという生活を送っています」と記した。
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▼池江選手は2月12日に白血病を公表。骨髄バンクへの問い合わせが急増、支援の輪が広がった。
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折に触れて自身のツイッターを更新してきたが、文字数制限などがない形式で、しっかりとしたメッセージを届けたいと希望からだ。
トップページには「応援ボタン」というものもつけた。ボタンを押せば、さまざまな国の言葉で「ありがとう」の文字が浮かぶ。本人と家族が話し合い、こだわって作ったという。海外のスイマーにも『ありがとう』を伝えたいという思いだ。
メッセージは「どんな時でも1人ではない事を忘れません。そして忘れないでほしいです。一緒に頑張りましょう!そして待ってくれている皆様に1日でも早く良い報告ができるようにしたいと思います…」と締めくくった。
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▼これまでのツイッターにはこう綴られている。
2月13日「私は、神様は乗り越えられない試練は与えない、自分に乗り越えられない壁はないと思っています…」。
3月13日「東京オリンピックまで499日。1日遅れちゃった…。まだまだ諦めないぞー!!」と絵文字つきで。
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▼トップスイマーとして18歳の女性として、突然襲われた病。アスリートが最も目標にする、4年に1度の五輪。まして母国東京開催まで1年ちょっと、出場したい思い…だが、どうか焦らないでほしい。
ファンが望むのは、五輪の舞台の勇姿だけじゃない。「東京」に間に合わなくてもいい、「パリ」もあるじゃないか。しなやかなで力強い泳ぎ、爽やかな笑顔、感動、そしていつも見る者に与えてくれる「見えない力」信じている。
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◆同じ日、大腸がんからの復帰を目指してリハビリを続けている阪神タイガース・原口文仁捕手(27)が鳴尾浜球場でのウエスタン・リーグ中日戦で実戦復帰した。8回に7番・代打として出場、相手2番手・伊藤投手の外角高め144キロ直球を右中間最深部へ打ち返したが、右翼手・藤井の好捕にアウト。
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▼矢野監督もエールで愛弟子の復帰をたたえた。
「これで、おめでとうと言うとフミ(原口)は違いますと言うかもしれないけど、第一歩を踏み出せたということは本当にめでたいことやと思う。ファンも俺らも甲子園だったり、1軍でフミらしい姿をみせてもらえるというのをみんな待っていると思う」。
▼原口選手の会見抜粋
「生きているということがすごくありがたいことだと実感できたので。またNPBというところで野球ができていることは僕の中ですごく幸せなことだし。これで僕が活躍することで、さらにたくさんの人に勇気だったり、夢だったりを与えられると思うと、本当に頑張るしかないなと。そういう気持ちですね。自分のためにというのは置いておいて、みんなのためにこれから野球に取り組んでいきたい」。
「野球人生でまた新しいスタートを切れたので。大谷君の復帰とかぶる中で、こんなに多くのメディアの方に来ていただいてありがたい気持ちですし。『原口頑張っているぞ!』と日本中に届けてもらってたくさんの人に元気になってもらえたら。それが僕の本望なので」。
▼プロ野球選手として27歳の男性として、大きな壁に直面した。昨シーズンは代打で23安打を放ち、代打の神様と呼ばれた桧山進次郎さんの球団記録に並んだ。「生きていることが…」と命を語る一言一言が胸に迫る。
頑張って! 生きる力
<2019.5.27    S>

世界遺産 近畿そろった!

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日本が世界文化遺産に推薦していた、大阪府の「百舌鳥(もず)・古市(ふるいち)古墳群」について、登録可否を事前審査するイコモス(国際記念物遺跡会議)が、ユネスコ(国連教育科学文化機関)に対し「登録が適当」と勧告した=5月14日。
アゼルバイジャンで開かれるユネスコ世界遺産委員会(6月30日~7月10日)で正式決定、世界文化遺産として登録される。
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◆「百舌鳥・古市古墳群」は世界最大級486メートルの仁徳天皇陵などを含む49基(堺・羽曳野・藤井寺にまたがる)。令和元年、皇室にも国民の関心が高まる中の朗報。大阪にとっても、初めての世界遺産へ嬉しいニュースだ。
大阪「古墳群」が登録されれば”近畿そろい踏み”となる。
・1993年「法隆寺地域の仏教建造物」奈良
・1993年「姫路城」兵庫
・1994年「古都京都の文化財」京都・滋賀
・1998年「古都奈良の文化財」奈良
・2004年「紀伊山地の霊場と参詣道」和歌山・奈良・三重
世界遺産登録は世界で1092件、日本国内では22件。「古墳群」は近畿6件目となり、世界に誇れる近畿の文化・自然の素晴らしさを物語る。
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◆国内審査に3回落選し、4度目の正直だった。最初に名乗りを上げたのは2007年。以降、古墳の保存状態などを考慮し数を絞り込んだり…13年越しの努力、悲願が達成された。
イコモスは「傑出した古墳時代の社会政治的構造を証明…」と最大級の評価をし49基すべて認められた。
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◆壮大な「古墳群」、近い場所から見るのも魅力的だが、全体像を見るのはヘリなど上空からしかない。
吉村洋文大阪府知事は「タワー、観覧車のようなものを検討したい」と発言、是非実現してほしい。
もちろん保存・景観を優先しつつ、政令指定都市・堺市の都市開発とのバランスもとりつつだ。
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◆古墳群が世界遺産に登録されれば、経済効果1000億円以上とも言われる。
観光大阪として、大阪城、通天閣だけでなく湾岸エリア、古墳文化の南へ…人の流れをも変える起爆剤にしたいものだ。
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令和元気へ!オール大阪
<2019.5.20    S>

母の日 感謝の命

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昨日12日は母の日。2007年に始まった、子育てをしながら各界で活躍する女性を表彰する「ベストマザー賞」(特定非営利活動法人・日本マザーズ協会主催)が決まった。感謝とともに、それぞれの思いを語った。
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◆【 芸能部門 】吉瀬美智子(女優44歳) 子供(長女5歳、次女2歳)
「38歳で長女を授かり、この手で娘を抱き母になった瞬間は、今も忘れることはありません。
母になった嬉しさをゆっくりと味わう余裕もなく日々が過ぎ、今日に至りました。長女は5歳になり、次女も2歳に。あんなに小さかった娘たちと会話が出来るなんて想像もつきませんでした。
この賞に恥じることなく素敵なママでいられるように、今後も頑張っていきたいと思います」。
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◆【 スポーツ部門 】松本薫(ロンドン五輪柔道金メダリスト31歳)子供(長女1歳11カ月)
「ママとしてはまだ白帯。他の受賞者のみなさんみたいに黒帯ではありせんが、これからも娘と向き合って頑張っていこうと思います。
今後、ママでありながらアスリートを続けられる女性選手の環境が整うように願っております」。
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◆【 文芸部門 】辻村深月(小説家39歳)子供(長男7歳、長女3歳)
「 〝素敵なお母さん〟たちは、こんなにドタバタなわが家とは正反対な家に住む方々だと思っていたのですが、ああ皆さんもきっと、こんなふうにあわただしい毎日の中で懸命に「お母さん」をされていたからこそだったのですね。
きっと、いろんなご家庭で起こっている日々の「物語」…日々健やかに育ってくれている子どもたちにもこの場を借りて感謝を。これからも我が家の母親でいられることの尊さを思いながら…」。
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◆【 文化部門 】梨花(モデル45歳) 子供(長男7歳)

「子育てをしている中でいろいろ考えます、理想も抱きます。でも大切なことは日常の些細なことに多く含まれていると、最近特に思います。子育てを通じて今まで考えられていなかったようなことを教えてもらえているような気がするのです。
年齢とともに感じること、学ぶことまだまだたくさんある中で息子を通して、これからも多くの気づきをもたらしてくれるのでしょう。ママにしてくれてありがとう」。

◆【 経済部門 】小脇美里(ファッションエディター/ブランディングプロデューサー35歳)子供(長男4歳)
「息子を授かったときは本当にうれしく、育児も楽しみで仕方ありませんでした。ですが、実際の育児がはじまってみるとうまくいかないことの連続。泣く息子を抱きながら、私も一緒に涙する日もありました。とにかく、目の前にいる小さな命を育てるのに必死でここまできたような気がします。
「育児は、育自」とよく言いますが、まさに息子と共に自分も母として日々育ててもらっている最中だなと感じています。笑ったり、怒ったり、泣いたり…これからも息子にとってのベストなマザーでいられるように頑張っていきたいと思います。
未来を作る子どもたちが生きやすいような社会を作れるよう、微力ながら努力していければと思っております」。
今年の「母の日」は5月スタートの新元号”「令和」フィーバー”に押された感は否めないが、「父の日」とは比べものにならない存在感がある。
親思う心にまさる親心…母がいたから、生きている。
<2019.5.13    S>

パリ五輪 野球・ソフト落選

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2024年フランス・パリ五輪では、野球やソフトボールが観られない。
◆パリ五輪組織委員会が、国際オリンピック委員会(IOC)に開催都市枠で提案する追加種目の候補を発表、来年の東京五輪で3大会ぶりに復活する野球・ソフトボールや沖縄発祥の空手が落選した。
追加されるのは4競技12種目。東京五輪で初採用となるスケートボード、スポーツクライミング、サーフィンが入り、ブレークダンスも選ばれた。
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◆五輪は世界最高のスポーツ舞台だ。その競技は男子が最低4大陸75ヵ国以上で、女子は3大陸で40ヵ国以上で行われているもの、と定められている。
サッカー地域・ヨーロッパでは、野球人気は高くない。オランダ、イタリア、スペインなどを除けば力量も世界的に劣り、フランス国内には野球場さえ少ない。新たな会場整備が不可欠だが、フランス国民は「黄色いベスト運動」に象徴されるように、税金に敏感で厳しい目を注ぐ。パリ五輪組織委員会エスタンゲ会長は「会場を新設しない」と明言していた。
また野球王国米・大リーグなどはシーズン途中の五輪に難色を示し、IOC主導で思うようにならない競技でもある。
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◆”若者寄り”の最大要因は、IOCが五輪の求心力低下に危機感を募らせていること。追加されるどの種目からも、若者の人気を強く意識している。IOC「競技は時代とともに進化、それを体現するのがオリンピックだ」。
しかし、ブレークダンスやスケートボードは果たしてスポーツなんだろうか。まして、テレビゲームの技量を競う「eスポーツ」採用までも検討し始めたという情報…IOCの姿勢に強い違和感を覚え、まったく納得いかない。
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◆「商業オリンピック」と言われ久しい。すべてを否定はしないが、IOCにはオリンピックの経済発展だけでなく伝統競技を大切に守る使命もある。安易なショーや娯楽性に走らないでほしい。
伝統競技と新競技、改めてじっくり時間をかけて議論する時代だ。
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スポーツの力 立ち止まる時
<2019.5.7   S>

一般参賀 寄り添うお言葉

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天皇陛下のご即位を祝う一般参賀が令和元年5月4日、皇居で行われた。
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◆天皇、皇后両陛下は秋篠宮ご夫妻をはじめとする皇族方とお出ましになり、宮殿「長和殿」のベランダで参賀者に応えられた。1日に即位された陛下が公式行事で国民の前に出られた初めての機会。上皇ご夫妻や未成年皇族は参加されなかった。
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参賀は午前10時から6回行われ、陛下は毎回お言葉を述べられた。
【お言葉全文(1回目)】
このたび、剣璽等承継(けんじとうしょうけい)の儀、および即位後朝見(そくいごちょうけん)の儀を終えて、きょう、皆さんからお祝いいただくことをうれしく思います。ここに皆さんの健康と幸せを祈るとともに、我が国が諸外国と手を携えて、世界の平和を求めつつ、いっそうの発展を遂げることを心から願っております」。
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◆最高気温が24.8度と6月上旬並みまで上がった皇居周辺。ひと目お祝いをと日比谷通り、東京駅の方まで人があふれ列が続いた。
熱中症とみられる症状で倒れる参賀者も出て約120人が救護室で診察を受け、10~80代の男女28人が救急搬送された。
陛下は午後2時以降の5回目からのお言葉から「このように暑い中、来ていただいたことを深く感謝いたします」と、参賀者を気遣う言葉が加わっていた。
京都御所でもご即位を祝う記帳を受け付け、開門前から多くの人が列をつくった。記帳は平成13年、敬宮愛子さまご誕生以来18年ぶりとなり、5日も受け付けは続いた。
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◆天皇陛下は剣璽等承継の儀、即位後朝見の儀を終えられて、一般参賀では重みとともに穏やかな姿を見せられた。
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ひときわ輝く黄色のドレス姿の皇后雅子さま。穏やかな笑みをたたえ手を振られる姿に、陛下と同じように落ち着きと重みを感じた。
ご婚約会見(1993年)でも、レモンイエローのワンピースに、同じ色の帽子を着用されていた皇后さま。「雅子さまにとっての、勝負カラーでしょうか?」との声も聞かれた。
一般参賀において、皇后さまの決意の表れと言えないだろうか。
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◆59歳の天皇陛下。会社員なら定年を迎えるが、陛下は即位の儀式が続き、これからが始まりとなる。朝見の儀のお言葉では、憲法という言葉を2度使われた。また皇位継承、今後の宮家についての議論が出てくる可能性もあるだろう。
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皇居にあふれる人、京都御所での記帳や全国で奉祝という事実…国民に寄り添い、一歩を踏み出された。令和の天皇家の道を歩まれてほしい。
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新たな時代 寿いで
<2019.5.6    S>
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*事実は小説より奇なり⁈ 人の喜怒哀楽を見つめ、綴って行きたいと思います(毎月曜)。髙岡美樹の「べっぴんラジオ」内(月曜〜木曜)で、ニュース解説も始めています。
引き続きよろしくお願い致します。S

即位 令和の始まり

5月1日午前0時、第126代天皇陛下が即位された。
「令和」元年。新たな元号とともに新たな時代が始まった。
◆即位の儀式は午前、皇居・宮殿「松の間」で神器など皇位の証を引き継ぐ「剣璽等承継の儀」。天皇陛下は続いて「即位後朝見の儀」に臨まれ、三権の長ら国民の代表の前で最初のお言葉を述べられた。
「日本国憲法および皇室典範特例法の定めるところにより、ここに皇位を継承しました。…上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ…常に国民を思い、国民に寄り添いながら、憲法にのっとり、日本国および日本国民統合の象徴としての責務を果たすことを誓い、国民の幸せと国の一層の発展、そして世界の平和を切に希望します」。
◆小雨の日本列島は、平成から令和にかわる歴史的瞬間に沸いた。
神社に多くの人が訪れ、百貨店や商店街では令和にちなんだ商戦を繰り広げた。婚姻届ラッシュ?令和ベビーも次々と誕生…各地で奉祝ムード。厳戒の中で渋谷には若者たちが繰り出し、道頓堀・戎橋では数人のダイブもあったが、大きな混乱もなく「令和」の歓声とともに祝った。
また英BBC放送や米CNNテレビが儀式を中継したほか、中国や韓国なども報じ海外の関心の高さも表した。
◆天皇陛下は激務のご公務も始められ、1年を通し即位の儀式も続く。
まずは5月4日、令和初めての一般参賀を寿ぎたい。月末にトランプ米大統領が国賓として来日、会見や歓迎行事に臨まれる。6月に全国植樹祭、8月の全国戦没者追悼式など…秋には10月「即位礼正殿の儀」や「祝賀御列の儀」(パレード)、そして主要儀式の「大嘗宮の儀」が11月に控えている。
「祈り、寄り添う」を繋がれて、新たな象徴天皇を求められていかれることだろう。国民とともに。
◆令和の典拠、万葉集巻五
「梅花の歌三十二首并せて序」
初春の令月にして
気淑く風和らぎ
梅は鏡前の粉を披き
蘭は珮後の香を薫らす
厳しい寒さを超えて咲き誇る梅のように、日本の明日へ。
「令和」 安寧と希望
<2019.5.1    S>
*平成から令和へ、昨日今日と続けて綴りました。変わらぬ人の喜怒哀楽をつないで…ご愛読いただければ幸いです。S

譲位 平成の終わり

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「今日をもち、天皇としての務めを終えることになりました。… 象徴としての私を受け入れ、支えてくれた国民に心から感謝します」。
4月30日「退位礼正殿の儀」を終えて、天皇陛下が譲位された。譲位は光格天皇(江戸時代)以来、202年ぶりである。明日から天皇陛下皇后陛下は、上皇、上皇后となられる。
平成30年余り、今日をもって終わる。
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◆天皇陛下のご公務は年間700回を超える。内閣総理大臣の任命、執務などの国事行為。植樹祭や一般参賀、外国元首来日時の宮中晩餐などの「公的行為」。公的性格を有する「慈善」的な催事と、ご研究や宮中祭祀など私的行為の「その他の行為」に分けられる。
天皇陛下は激務を続けてこられ、平成28年に「譲位」を望まれる意向を示された。日本国中が驚きに包まれたが、それはまさに陛下のご英断だった。平成30年12月23日にご在位中最後となる85歳の誕生日。先立つ記者会見では時折涙で声を詰まらせられ、しみじみと振り返りお言葉を述べられた。
◆大災害が襲った平成時代。天皇陛下はとりわけ被災地訪問に、全身全霊で力を注がれた。
ご高齢をおして、何度も災害被災地をご訪問。膝をつかれて被災者に寄り添い声をかけられる姿に、被災地の方々だけでなく国民全体が励まされた。
平成7年の阪神大震災。皇后さまは焼け跡に、皇居で摘まれた17本のスイセンをそっと置かれた。ひと筋の希望…そしてバスの中から、被災者に”頑張って”と小さくガッツポーズをされたお姿が忘れられない。
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◆また両陛下は、戦争慰霊の旅にも深く心を砕かれた。戦後50年、60年、70年の節目の年を迎え、大戦の激戦地となったサイパン、フィリピンなどにも赴かれた。訪問は35カ国に上る。
「先の大戦で多くの人命が失われ、また、我が国の戦後の平和と繁栄が、このような多くの犠牲と国民のたゆみない努力によって築かれたものであることを忘れず、戦後生まれの人々にもこのことを正しく伝えていくことが大切であると思ってきました。
平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています」。
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◆そして、国民に感謝と美智子皇后への労いのお言葉を述べられた。
「…振り返れば、私は成年皇族として人生の旅を歩み始めて程なく、現在の皇后と出会い、深い信頼の下、同伴を求め、爾来この伴侶と共に、これまでの旅を続けてきました。
天皇としての旅を終えようとしている今、私はこれまで、象徴としての私の立場を受け入れ、私を支え続けてくれた多くの国民に衷心より感謝するとともに、自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います」。
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「平成」 敬愛と感謝
<2019.4.30    S>
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*平成から令和へ、今日明日と続けて綴ります。変わらぬ人の喜怒哀楽をつないで…ご愛読いただければ幸いです。S