見えない敵 人類の闘い

 桜は満開間近だが、週末の大阪は道頓堀や御堂筋も閑散としていた。いや東京など日本列島のすべての繁華街は、人が激減した。 
 日々新型コロナウィルス感染者が増加する中、外出・移動自粛要請が発令されたからだ。それでも東京では一日で60人以上の感染者が続いた。 

◆地球上で生命体の”トップ”に立つ人類。脅かす訳ではないが、地球誕生40億年の間に生命体の絶滅危機が数回あった。火山の大爆発、隕石の衝突…そしてウィルス感染症の蔓延。

 中国武漢市に端を発した新型ウィルス感染者は、世界中であっという間に65万人を超え(回復者数は約13万人)、死者は3万人以上に上った(3月29日)。数字上致死率は5%未満だが、感染者は一気に早く重篤になる危険がある。
 ヨーロッパで爆発的感染拡大が起きイタリア、スペインでは深刻だ。特にイタリアでは死者1万人を超えた。アメリカの感染者は、ついに10万人を超え世界最多となった。
 個人主義的な欧米、握手やハグ(抱擁)などスキンシップの生活習慣も影響しているとも言えよう。

◆経済活動も大きな停滞、何兆円の損失と報道される。新日鉄やソニーなどは数万人の社員が原則在宅勤務となっている。しかし中小の企業は存続のため、そうもいくまい。
 成長一辺倒で来た企業論理への警鐘ではないか…一方で働き方改革、ひいては東京一極集中の是正、地方創生の好機ではないか。

 医療体制も急務だ…何のための経済成長、技術進歩なのかも突き付けられている。世界の技術を結集して一刻も早いワクチン開発が求められるが、時間がかかる。流通する薬品での”代用”も急がなくてはならない。

◆日本の感染者数は2500人以上となった。そんななか今日、志村けんさん(70)急死というニュース、列島に衝撃が走った。
 2020年東京五輪は1年程度の延期、”春の風物詩”大相撲は無観客大阪場所になり、国民的スポーツの選抜高校野球中止。プロ野球もいつ開幕できるか分からない。
 
 日本は中国、欧米に比べると”封じ込め”が続いていると言えるが、いつオーバーシュート(爆発的患者急増)してもおかしくない。都市封鎖(ロックダウン)さえも正念場だ。安倍晋三首相は「長期戦を覚悟していかなければならない」と会見で訴えた。政治の信頼、そして国民全体の意識と行動…今耐える。

人類 負けられない
<2020.3.30 S>

日本の心 桜よ

 暖冬列島で桜が咲き急ぐ。開花宣言一番乗りは東京(14日)、観測史上最速となった。
 桜は日本人にとっては特別な花だ。新型コロナウィルス感染拡大で、人が集まる会は自粛の時…残念で寂しい。

◆観光国としての側面を持つ日本、インバウンド(訪日外国人旅行)はシートや茣蓙での花見は少ない。日本人は昔から車座になり飲食歓談、そして神が宿る桜木に豊作を願った。人と人のふれあい、風情を愉しむ…新型コロナウィルス禍で、大阪造幣局の通り抜けは早々と中止、東京・新宿御苑もシートなど敷いての花見は禁止となった。
 ならばせめて、地元の近くの桜を改めて眺めてみるのはどうだろう?名所に劣らない良さを再発見できるかもしれない…フラッと楽しんでほしい。

◆桜の名所1位は東京・目黒川だという。そんなバカな⁈ 確かに目黒川沿いを歩く人の数は日本中で最も多い。しかし名所を”人数で決められたら”合点がいかない。美を眺めて、歴史に思いを寄せ、それぞれの時…桜には日本の心がある。

 個人として敢えて挙げるなら、東日本大震災が起きた東京単身赴任時代に観た六義園のしだれ桜、千鳥ケ淵の夜桜。そしてもう一つは故郷・十四川(三重・四日市)の桜だ。高校生の青春時代、母校の傍を流れる川の堤防桜にそれほど印象や思いもなかった。昨年、四十数年ぶりに観た…郷愁の桜、胸に迫るものがあった。

 ほんの七十数年前。国を家族を愛する人を守るため、靖国神社の桜の下で会おうと散った若い命もあった。

◆パッと咲いてパッと散る。
「しばらくは 花の上なる 月夜かな」(松尾芭蕉)
「見ぬものを 見るより嬉し さくら花」(加賀千代女)
「散る桜 残る桜も 散る桜」(良寛禅師)
 こんな時だからこそ、桜を愛でたい。

潔さ儚さ 日本っていい。
<2020.3.16 S>

”2人の涙” いざ!東京五輪 

【ニッポン柔道 ”武士の情”】
 全日本柔道連盟(全柔連)は講道館で強化委員会を開き、2016年リオデジャネイロ五輪金の大野将平(男子73キロ級)や、2019年東京世界選手権優勝の阿部詩(女子52キロ級)ら男女計12選手を東京五輪代表に選出した(2月27日)。国際大会の実績など踏まえ、出席者の3分の2以上が、後続に大きな差をつけていると判断して決まった。
 個人の全14代表のうち残すは4月、男子65キロ級の丸山城志郎ー阿部一二三の争いのみ。

◆全柔連は早期決定をめざし、3段階の選考方式をとった。第1段階は昨年11月、女子78キロ超級の素根輝が最も早く代表を決めている。今回は第2段階となり、残る13人のうち一気に12人の決定となった。
 最終の第3段階(4月・全日本選抜体重別選手権)より早く決めた事に、開催国のお家芸ゆえの事情も見える。「メダルは当然」の厳しさ、そこに向けて選手の調整時間確保、何より精神的負担の軽減がある。

◆ 代表発表会見で井上康生男子代表監督(41)が涙を見せた。代表1人1人の名前を読み上げた後、目を伏せ「いまはギリギリで落ちた選手の顔しか思い浮かばないです。永山、橋本、海老沼…」耐えきれず涙があふれた。さらに落選した選手の名前を挙げ「よくここまで戦ってくれたと思う。彼らの思いも背負った上で、責任を持って戦わないといけない」。力のある選手たちを早くふるいにかけざるを得なかった…敗者への思い「武士の情」か。

◆お家芸柔道日本の節目、2000年シドニー五輪柔道。初日に軽量60kg級・野村忠宏と48kg級・田村亮子が優勝し幸先いいスタートを切った。井上康生は重量100キロ級にかかわらず、まさに「一閃」オール一本で金メダルを獲得した。パワー全盛、しっかり組み手をとらない欧州のポイント柔道に流れそうな時代…鮮やかな「一本」柔道を引き戻した。

◆ 勝負の世界「選ぶ側や監督は、毅然とした態度で臨むべきだ」と、井上監督の涙に賛否ある。自らも「こんな場所で一番やってはならないこと、申し訳ありません」と詫びた。
 選ばれ並んだ代表の顔…この選手たちが力を最大限に発揮できる環境づくり、そこに全力を尽くせ。

 次は、1964年東京五輪と同じ聖地・武道館で歓喜の涙を流す!…柔道ニッポン、必ずやってくれる。

【クールなランナー 1人の戦い】
 日本記録保持者の大迫傑(28)が、東京マラソンで自らの日本記録2時間5分50秒を更新する2時間5分29秒をマークした(3月1日)。日本人トップの4位に入り、東京五輪代表3枠目の最有力候補に。8日のびわ湖毎日マラソンで記録を破られなければ、代表に内定する。
 ”一発勝負”MGCでは2位・服部勇馬と5秒差の3位、五輪の代表内定を逃した。残りの選考レースで日本記録を破られなければ、このまま五輪切符をつかめる可能性はあったが、待つことはせず東京マラソンに参戦した。

◆井上大仁らがスタートから2時間3分台を狙う果敢なレース。冷静に一度”引いて”一時先頭集団の背中は遠くなったが、そこから自信の走りを見せつけた。レース後のインタビューではMGCに触れ、「3番になった時から1人苦しい戦いだったんですけど…」クールな男が涙ぐんだ。「自分の体と対話しながら走れたと思う」「自分への挑戦ということで、ケニアに行ったりしてチャンレンジ出来たので」と、1人で耐えることを学んだ。幅広いレース展開に対応、自力の強さも見せ、日本マラソン界を引っ張る存在であることを証明した。

 一方で世界レベルのマラソンは2~4分台、優勝したレゲセ(エチオピア)2時間4分15秒に歯が立たなかった。しかし日本人ランナーは今大会5分台1人、6分台2人、7分台5人とレベルアップは間違いない…メダルに最も近い日本人ランナー、大迫が躍り出た。

<2020.3.2 S>

天皇誕生日 還暦のお誓い

 天皇陛下が60歳の誕生日を迎えられた(2月23日)。令和初めての天皇誕生日、皇居・宮殿などで諸儀式に臨まれた。一般参賀は、新型コロナウイルスによる肺炎の拡大防止のため中止になったが、国民の慶祝の思いは変わらない。

◆先立ち、赤坂御所で記者会見されその決意を示された。
 「日本国及び日本国民統合の象徴としての私の道は始まってまだ間もないですが、たくさんの方々からいただいた祝福の気持ちを糧に、上皇陛下のこれまでの歩みに深く思いを致し、また、歴代の天皇のなさりようを心にとどめ、研鑽を積み、常に国民を思い、国民に寄り添いながら、象徴としての責務を果たすべくなお一層努めてまいりたいと思っております」。

◆陛下は60年を振り返る中、世界との出会い触れ合いとして昭和39年(1964年)の東京五輪と昭和45年(1970年)の大阪万博を挙げられた。五輪は、円谷選手のマラソン銅メダルや、上皇ご夫妻と訪れた閉会式で「国を超えて選手団が混じり合い行進する姿」を思い出され、「世界の平和を切に願う気持ちのもとになっている」と明かされた。万博では「世界にはこれほど多くの国があり、一つ一つが様々な特色を持っていることを目の当たりにしました」と振り返られた。

 阪神大震災や東日本大震災などは「忘れることのできない記憶」、さらに「長く被災地に心を寄せたい」と述べられた。また虐待や貧困などの重い問題にも触れ「次世代を担う子どもたちが、健やかに育っていくことを願ってやみません」と。

◆そして「もう還暦ではなく、まだ還暦という思いでおります」と語られたのは、国民にとって何より心強く、勇気づけられる。

寄り添い つなぐ日本
<2020.2.23 S>

月見草「19」 偉大な野球人

 プロ野球の南海などで活躍し、ヤクルト、阪神、楽天の監督を務めた野村克也さんが死去した(2月11日)。84歳、京都府出身。

◆1954年(昭和29年)に南海テスト生として捕手で入団。1965年に戦後初の三冠王、南海の黄金時代を支えた。70年からは選手兼監督となり、73年に優勝。その後ロッテ、西武に移籍し、1980年に45歳で現役引退。通算3017試合出場、657本塁打は歴代2位。9度の本塁打王、史上最多となる通算19回ベストナインにも選ばれた。1989年、野球殿堂入り。

◆監督としては「ノムさん」と親しまれ、1990年(平成2年)からヤクルトを率いた。データ重視の「ID野球」を掲げ、リーグ優勝4度、3度の日本一。データ野球と言われたが、戦力外を経験した選手を再び1軍の戦力として甦らせる手腕は「野村再生工場」と呼ばれ、「監督ってのは気付かせ屋なんだ」…不遇の選手に向ける情にもあふれた指導者だった。
 巨人の王、長嶋に強烈なライバル心を燃やし「王や長嶋がヒマワリなら、俺はひっそりと咲く月見草」とたとえた。「生涯一捕手」「ボヤキは高みに登ろうとする意欲」「弱者でも強者に勝てる」「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」など多くの名言も残した。

◆オヤジ世代には、何と言ってもスリバチ状の大阪球場(現なんばパークス)。南海の捕手、背番号「19」の勇姿だ。1970年代初め、中学生だったと思うが試合にワクワクしたとともに、大阪弁ヤジも独特の深さがあった。当時、捕手兼任監督の野村捕手に「南海の監督さん!キャッチャーへぼやから、替えた方がええでー!」バックネット裏からの大声に、思わず吹き出す。そこにはファンの愛情があった。
 都会のど真ん中大阪球場には、社会人になっても時折行った。7回以降は誰もが外野から”自由に”入ることができ、すぐ横の高島屋の地下で缶ビールとつまみを持ち込んで観戦した。お金のない若い頃のデート、一度や二度ではなかった…夏の風が心地よく今も肌に残る。
 なんばパークスには、ピッチャープレートとホームベース跡がある。

◆「二度も女房のせいで監督をクビになった」…南海監督時にいわゆる”不倫”と、阪神監督時のサッチー(沙知代夫人)脱税事件。「球界を追われたと言うが、幸せな人生だった。感謝しかない」と、沙知代さん(2017年死去)をかばい続けた。
 今の球界を引っ張る人材を育て日本野球を育て、自らは勝負の世界だけで生きてきた野村さんは晩年ボソっと「女房は道案内だった」「女房がいなくなって痛切に思う、男の弱さを…」。
 今シーズンから東北楽天ゴールデンイーグルス一軍作戦コーチの息子・克則さんは「自分があるのは、おかげ」。

◆最後まで球団幹部に就かず、反骨で咲いた野球界の大輪…とりわけ関西の喪失感は大きい。少子化が進み、野球人口も減っている日本。ノムさん!見守ってボヤいてほしい。

日本球界 継げイズム
<2020.2.13 S>

*週1本ペース(原則月曜日)で書いてきたこの報道コラム「喜怒哀楽」も、100回目となりました。変わらずニュース・人を見つめて続けていきたいと思っています。よろしくお願い致します。S

新型肺炎 拡大阻止こそ

 中国武漢市に端を発した新型コロナウイルス感染は1万7千人を超え、死者は350人以上に上った(2月3日)。人から人へ感染、中国の春節とも重なり…世界中で日々増え続けている。
 また米英仏独、香港、タイや豪州、北欧スウェーデンまで、中国以外での感染者が確認された国・地域は20以上。日本国内でも感染者は20人となった。

◆ 世界保健機関(WHO)は3回目の緊急委員会でようやく、「国際的に懸念される公衆衛生上の緊急事態」に該当すると宣言した(1月31日)。
 国際社会を意識した中国は、2002〜2003年のSARS(重症急性呼吸器症候群)発生時に比べ、”早め”情報公開などを行った。「武漢封じ込め指示」も出されたが、約500万人がすでに”脱出”した後だった…今なお、感染源については明確になっていない。

◆中国市場には、日本企業が多く進出している。自動車、電機、食品、小売…すべての業種にわたる。日本政府はチャーター機4便に分けて、武漢市から日本人約600人を帰国させた。依然、春節休業を延長せざるを得ない企業が相次いでいる。日本だけでなく、中国から国外への観光客は大きく増えた。今の状況が続けば世界経済にも打撃となる。

◆日本政府は、2月7日施行予定だった感染症法の「指定感染症」にする政令を1日施行に前倒しした。安倍首相は「これにより、入国しようとする者が感染しているなら入国拒否する」。
 今後は、増えると予想される感染者を速やかに受け入れる病院・施設の確保が重要だ。海外のように島に一時”隔離”でなく、拡大阻止へ重症者抑制へ万全の対策こそ。

◆ 新型コロナウイルス肺炎の感染力は強いが、SARS(世界700〜900人死亡)に比べ今のところ死者・重篤者率は低い。うがい・手洗い、ウイルスが弱いアルコール消毒、マスク着用の徹底で対処できる。冷静な対応が必要だ。
 大阪府感染症情報センターによると、感染力はインフルエンザ並みか低いとみられ、現時点では致死率も2%ほど。「ほとんどは回復しており、現段階では恐れるほどではない」と指摘している。
 しかし無症状感染への限界もあり、3次感染を避けるためには…そしてもう一つ怖い、心ないデマと中傷。国の正確で早い情報発信とともに、個々もしっかり情報をとらえなければ。

正しく恐れ 正しく対処
<2020.2.3 S>

諦めない 輝いた2人

【国技 史上最大の下克上】
 大相撲初場所で、西前頭17枚目の徳勝龍(33)が初優勝を飾った。幕尻としての優勝は、2000年春場所の貴闘力以来。
 
 早々と両横綱が休場、情けない初場所の土俵を救った。幕内と十両を行ったり来たり、三賞さえ獲得したことがない33歳、誰が戦前にこの結果を予想しただろう⁈腐らずコツコツ、休場したことがない見習うべき力士の姿だ…優勝を決めた瞬間の土俵上、堪えきれず涙を流す姿や「ばりばりインタビューの練習していました」…誠実な人柄が見えた。

 相撲発祥の地・奈良県は、98年ぶり(1922年・鶴ケ浜)の故郷力士Vに沸いた。「真っ向勝負の立派な相撲だった」と父の青木順次さん(73)、両国国技館に駆けつけた母のえみ子さん(57)も「ハラハラしたけれど、逆転してくれてうれしい。夢みたい」と涙ながらに話した。

 「14日目に正代を破るまで、平幕以下としか対戦していない」という取組編成への”もの言い”もあったが、恵まれた体どっしりとした終盤の強さは目を見張る…3月春場所は上位陣との対決も増える。故郷に近い大阪場所、期待がふくらむ。

【女子マラソン 絆を糧に】
 大阪国際女子マラソンで松田瑞生(24)が、2時間21分47秒で2年ぶり優勝。陸連が設定したタイム(2時間22分22秒)を突破し、東京五輪の残り1枠へ大きく前進した。
 
 ハイペースに「やばい」と思いつつも一歩も引かなかった。”流行”の厚底シューズを履かない158㎝の浪速娘は「松田瑞生、ここにあり」と胸をたたき、拳を突き上げてゴールした。
 増田明美さんは「上半身をしっかり使うことで、脚の疲れを抑えられる」と指摘、ずば抜けた腹筋の強さが生きた。有森裕子さん、野口みずきさんともに「序盤からハイペースが世界基準、アフリカ勢がいても自分のレースを貫けた」…世界で戦えるレベル、五輪へ光も見えた。

 昨年9月のMGC(グランドチャンピオンシップ)で4位、一時は引退も考えたという。「やめるんやったら、とことん潰れたらええねん。日本記録を狙い!」母・明美さん(54)の強気が、背中を心を押したという。苦しく勝負所の37キロ地点「瑞生ー!」母の叫びに、拳を握りしめた。監督や恩師ら周囲にも励まされつかんだ栄冠、ひと回り成長した。故郷の晴れ舞台「大阪を選んでほんまよかった… 泣かないお母さんが泣いていた。本当にうれしい」。

◆徳勝龍「もう33歳でなく、まだ33歳と思って頑張る」。
 松田瑞生「やることはやったから楽しめた、自分を超えられた」。
 敗者の悔しさもかみ締めてきた2人。諦めるな!…そんな声をかけられている気がした。

スポーツの力 自分信じて
<2020.1.28 S>

憧れ ”孤高の2塁手”逝く

 プロ野球中日で俊足好打の名2塁手として活躍し、監督では1994年に巨人との「10.8決戦」を指揮した高木守道(もりみち)さんが17日、急性心不全のため死去した。78歳。岐阜県出身。

◆県岐阜商から中日一筋。派手さはないがいぶし銀のプレー、日本球界初の華麗なバックトス、まさに「ミスタードラゴンズ」。通算成績2274安打、236本塁打、813打点、369盗塁、打率2割7分2厘。現役21年で3度の盗塁王、ゴールデングラブ賞3度、ベストナインは7度も獲得した。2006年に野球殿堂入り。
 2度の監督では代行含め7シーズン、383勝379敗25分け。1994年、同率首位で長嶋巨人と激突した最終試合「10.8決戦」は、3-6で敗れはしたが今なお語り継がれている。2010年の12球団選手・監督・コーチら計858人に行ったアンケートでも、歴史を彩った「最高の試合」1位に選ばれている。
 2012年からは積極的にファンサービスを掲げる一方で、高木監督自ら「暴走老人」と呼び首脳陣との意見が衝突したこともあった。
 
 突然の訃報にミスタープロ野球・長嶋氏は「監督としては何といっても10.8決戦、巨人の胴上げをじっと見つめていた守道ちゃんの表情は忘れられません。野球界にとって貴重な人材を失い、残念です」…実は2人の出会いは、立教大・長嶋選手が県岐阜商・高木選手を指導に行った時までさかのぼる。当時、遊撃手だった高木氏に「プロでやるなら、2塁を守りたまえ」と勧めたのが長嶋氏だった。そのアドバイスがプロ入り決断の一つになったという。

◆2013年2月、新聞社時代にプロ野球の沖縄キャンプを視察した。
 メーンは藤浪晋太郎投手1年目の阪神タイガース。和田豊監督と藤浪投手起用法などの話を終え、北谷の中日ドラゴンズキャンプへ。時間の都合上、高木守道監督とは話はできず、憧れの姿を見ただけ…今も悔やまれる。

◆もう半世紀以上前か…「おいっ!乗れ」の父の声に商売用トラックの荷台で中日球場へ。2時間も揺られる苦痛よりも、楽しみがはるかに勝っていた。子どもたちの多くがプロ野球選手になりたかった時代、当時の汚れた中日球場(スタヂアム)さえ憧れだった。もっとも観戦は、ほとんど王・長嶋を擁しV9中の巨人戦で、いつも負けて悔しい思いで帰宅した。
 1番センター中・2番セカンド高木が、今も日本プロ野球史上最高の1、2番コンビだと思っている。

 昭和を輝かせてくれた、記憶に残るプロ野球選手がまた1人逝った…寂しい。皆胸ときめいた、ありがとう。

さらば昭和 また一つ
<2020.1.23 S>

阪神大震災25年 1人じゃない

 6434人が亡くなった阪神大震災は17日、発生から25年となった。神戸市中央区の東遊園地で行われた「1.17のつどい」では、早朝から竹灯籠など約6千本が灯され「きざむ 1.17」の文字が浮かび上がった。発生時刻の午前5時46分に各所で追悼行事が行われ祈りは夜まで続いた…もう25年なのか、まだ25年なのか。

◆あの日揺れの中、足を踏ん張りながら妻子の部屋へ。1歳の長男は、妻が覆いかぶさるように守る下でミルクを飲みながら揺れていた。横で熟睡していた3歳前の長女は目覚め「あーよく寝た」…救われた思いになった。
 大きな被害がないことを確認し社へ向かった。新聞社編集局選挙本部勤務で、たまたま朝出勤だった。電車は全面ストップ、隣駅のタクシー乗り場は長蛇の列。運良く社契約のタクシーに乗れたが、都心梅田に近づくほど渋滞でまったく進まない。途中から歩き、結局着いたのは数時間後。この時緊急車両も動けなくなり、後に国民の認識とともに法改正もされた。
 やっと社に上がれば「よく来た。よしっ1ページ増やそう!」…出社できない記者もいた。号外、夕刊製作で騒然とした編集局。亡くなった人の数が信じられない速さで増えていく。そして阪神高速道路の倒壊写真に愕然とした。そのまま朝刊態勢へ…どう紙面をつくったのか、何日後に帰宅したのか覚えていない。ただ伝えなければ、の思いだった。

◆1995年は激動の年でもあった。
 地下鉄サリン事件、大リーグドジャース・野茂英雄投手が新人王、沖縄米兵の少女暴行事件…統一地方選挙は神戸を中心に多くで実施できず、期日をずらして行われ”震災選挙”と言われた。そして神戸が本拠地のプロ野球オリックスが優勝。仰木彬監督、イチローらが「がんばろうKOBE」を合言葉にパ・リーグを制覇、市民に勇気を与えてくれた。

◆各所の追悼式典で、遺族代表が言葉を述べた(以下抜粋)。
・母を亡くしたすし店店主、上野好宏さん(47)
 お母さんが天国へ旅立ってから今日で25年…ある時、お父さんに「年とったらどうするん」と聞いたら、「お母さんが亡くなった場所を離れられへん」と言うねんな。そん時、神戸に帰って一緒にすし屋をすることに決めてん。だってお母さんと約束したやん。東京の大学に行ってもええけど、もしお父さんに何かあれば、大学辞めてすし屋して弟と妹に学校行かせてあげてって。
 お母さんの名前から一文字ずつもらった娘たちは元気に育ってる…目を閉じると「よっちゃん、がんばり、がんばり」という声が聞こえます。いつも支えてくれてありがとう。

・妹を亡くし語り部として活動する松本幸子さん(65)
…あの日から25年。大きな災害は繰り返しやってきます。私たちは災害の苦しみのどん底にいる人を、助け上げる社会をつくり上げてこられたでしょうか。つぶれた家の中で、燃える炎の中で、救助を待ちながら亡くなられた皆さまのことは決して忘れません。
 今までに払ってきたたくさんの犠牲から学び、備えるならば、命を守ることは必ずできると思います。

◆被災した方々の高齢化が進む。震災後に生まれた人が年々増え、神戸市民の約半数が震災を経験していない人になっている。次世代へ、そして改めて減災へ国、個々が何をやるべきか何ができるのか。
 ♫「しあわせ運べるように」…今も、生きている者を守り続け励ましてくれる人がいる。せめてこの日は思い出し語ること、それがつながっていくと信じて。

命を守る 生きていく
<2020.1.20 S>

つなぐ 2つの東京五輪

 1964年以来の東京五輪まで、あと200日を切った。
 メーンスタジアムの新国立競技場はすでに完成。一方でデザイン盗作疑惑で公式エンブレムやり直し、マラソン・競歩が急遽札幌に変更されたりゴタゴタも…そのマラソンに関連し、ちょっといい話があった。

◆1968年メキシコ五輪男子マラソン銀メダリストの君原健二さん(78)が、福島県公募の聖火ランナーに内定した。
 だが走るなら、君原さんの故郷・北九州市では?…福島は、64年東京五輪にともに出場した故円谷幸吉選手の出身地。銅メダルを獲得しながら故障や重圧に苦しみ、27歳で自ら命を絶った盟友。半世紀後、その故郷を走り「2つの東京五輪」を聖火でつなぐという決意だった。

◆ 福島県須賀川市の「円谷幸吉メモリアルホール」には遺書「父上様、母上様、三日とろろ美味しうございました…」や銅メダル、シューズなど遺品が並んでいる。
 川端康成は遺書について「相手ごと食べものごとに繰りかへされる『美味しゆうございました』といふ、ありきたりの言葉が、じつに純ないのちを生きてゐやる。美しくて、まことで、かなしいひびきだ」「千万言も尽くせぬ哀切である」と評した。

 同学年のライバルで友人だった円谷選手の死は、君原さんには衝撃でその後の陸上人生に少なからず影響を与えただろう。そして友を救えなかった、相談に乗れなかった悔恨の思いも胸に⁈… 君原さんは語っている「メキシコ五輪の銀メダルは円谷さんのおかげです」。

◆須賀川市では毎年秋には「円谷幸吉メモリアルマラソン」が開催されている。36回を重ねる大会で、君原さんは35回参加、いつもレースの前日に現地入りし、円谷選手の墓参を欠かさない。今回も缶ビールを半分だけ飲み、半分は友に供えて内定を報告した。
 君原さんには、今回マラソンが行われる札幌での忘れ得ぬ思い出がある。1964年東京五輪の約2カ月前、1万メートル記録会で円谷選手1位、君原さんが2位、ともに当時の日本記録出した。競技場近くの売店でビールを買い、コーチらを交え縁台で乾杯…毎年あの時のことを思い出しながら、墓の前でビールを分け合うという。
 東京五輪金メダリスト・アベベの息子や、国立競技場で円谷選手を抜き去った銀メダリスト・ヒートリーも円谷選手の墓に参っている。

◆君原さんが走り続けることで、円谷選手の記憶は生き続ける。何があろうと、見えると見えないとにかかわらず「人を時をつないでいく」…今を生きる者の使命。

未来へ 続けバトン
<2020.1.13 S>