豊竹咲甫太夫さん

先週に引き続き豊竹咲甫太夫のお話をお送りいたしました。

寝る間も惜しんで勉強されている様子や、
師匠 豊竹咲太夫さんとのやりとりなど、興味深いお話をうかがいました。

師匠譲りのきれい好き。
きちっとしていないと気持ちが悪いとおっしゃっていましたが、
それも「師匠がそうだったから、そうなっていったのかも・・・」。

新年1月の公演ではめでたく師匠の豊竹咲太夫さんのお父様
八代目竹本綱太夫の前名六代目豊竹織太夫を襲名されます。

それに先立って12月2日にはミナミの街で‘お練’をされます。
なんと華やかなことでしょう!

写真は愛用のヴィックスドロップを頂戴しているところです。
咲甫太夫さんが使っていると聞いて、弟弟子の咲寿太夫さんたちも
「いい声がでるんすか?」と、のど飴は専らヴィックスだそうです。

文楽の世界によみがえる由緒ある名前を、ぜひ皆様に愛していただきましょう。

襲名前の公演は11月26日までですよ!

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「ベタベタベーター」

道頓堀の一角に、そこだけ時間が止まったような静かな佇まいの
お店があります。

「道頓堀 今井」です。

道頓堀 今井は、天保以来、70年余続いた芝居茶屋でした。
ただ、この芝居茶屋も時代とともにかげりを見せ始めます。 

1919年(大正5)芝居茶屋から、大転換し、5代目が西洋楽器店を始めます。
レコードや蓄音機や、それにマンドリンを店に陳列しました。
商売は大成功し、 大正時代から昭和初期のナニワのジャズを支えた楽器店 となりました。

ところが、第二次世界大戦が勃発。
大阪の中心部を襲った1945年(昭和20)3月13、4日の大空襲で、
「今井楽器店」は消失します。
当主の今井寛三ら一家6人は高槻市の根本山神峯山(かぶさん)寺の塔頭、寂定院に疎開します。
空襲のあと、道頓堀から 大阪城だけがストレートに見えました。

1946年(昭和21)疎開生活から1年2か月余が過ぎ、今井一家道頓堀での生活がスタートします。
一帯は、前年3月の大空襲直後に見た焼け野が原のままでした。

道頓堀に戻って、一家は食べもん屋さんを始めます。
寒天を売り、氷水も売れに売れました。
秋がきて、売り物はぜんざいとおしるこ、焼き栗に変わりました。
そして内緒ながら、うどん、そばを提供するお店へと転換していきました。

1年後、入口右のスペースに疎開先だった高槻から柳の木が植えられます。
「宵待ち柳」と名付けられました。

「今井の味」は、5代目寬三の妻マチ子の思い入れが出発点でした。
若いころ、クッキングスクールに通って味の基本をは学んでいました。

でも、材料が手に入る時代ではありません。
最初は牛肉、牛筋を炊いた煮汁を出汁にしました。
いまのラーメンの出汁に近い味だったようです。
一方で「いつかは昆布で本格的な出汁を」とも思い続けていました。

ある日、訪ねた粉浜の昆布店で、道南産の真昆布を勧められます。
牛肉から昆布の出汁にようやくたどり着いたのです。

この頃(1947年から49年にかけて、)角座が再建されました。
48年には中座が復活しました。
マチ子が「今井の出汁(だし)」を完成させたのが49年(昭和24)
きつねうどん用の出汁でした。

今もこだわりの味は生き続けています。

また、最近では大寅とのコラボメニューや
「もったいない計画」と題して、だしがらを鶏の飼料にして
環境に優しい「次世代の親子丼」のプロジェクトも立ち上がりました。

開店の11時にはお店の前に行列!
お昼時にはひっきりなしにお客さんがいらっしゃいます。

甘めの上品なお出汁が大阪のおうどんによく合います。
これこれ!これが大阪のおうどんです!

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♪今日のオンエア楽曲♪
 1. Funny Side Up! / NICO Touches the Walls
 2. 酔風ごころ / 北川 裕二
 3. 君が好き Rearrange ver. / 西野 カナ
 4. 恋のアメリカンフットボール / フィンガー5
 5. Power To The People / John Lennon
 6. ヘロン / 山下 達郎

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