豊竹咲太夫師匠に入門したのが13歳の時。
ことし28歳になられたので、15年の芸歴になるんでしょうか。
ただ、おかみさん(師匠の奥様をこう呼ぶそうです。)から、
高校は行っといた方がいいと言われて、高校生活も経験しはりました。
高校時代には、いちからお芝居を作ったりもされたそうで、
「いい経験になった」そうですよ。
悩んだ時期には、時間をもらって色んな事を試してもみはったそうですが、
最後は「文楽の世界」に。
「物語が好きなんです。」とおっしゃっていたのは印象的でしたね。

年明け初春文楽公演は 八代目 竹本綱太夫50回忌追善
豊竹咲甫太夫 改め 六代目 竹本織太夫襲名披露 のおめでたい公演も控えています。
先ず、11月3日(金・祝)からの初春文楽公演へおでかけください。
若い人達もがんばってはります!
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ベタベタベーターのコーナーは「改源」
前身となる会社は大正13年(1924年)、中西武五郎さんが創業しました。
創業当初の店名は売薬問屋中西武商店といい、各地の隠れた名薬、
家伝薬を世に広めるため、東京から鹿児島に至る本舗の数十種に及ぶ製品を取り扱い、
販売をしていました。
改源は、大正7年頃広島の沢井十字堂薬舗店主である
沢井文治(後に中西武商店取締役工場長で『改源爺』とも言われた)さんの
先見性と研究熱心、人一倍のねばり強さから生まれました。
沢井文治さんが、広島から東進し神戸まで販路拡張中の頃、
各地の隠れた名薬、家伝薬を世に広めようという中西武五郎さんと出会います。
ぜひ『改源』を全国展開したいと、創業の年の11月に兵庫県一手販売の契約を結びます。
そして昭和8年(1933年)に全国専売元となりました。
「売薬問屋中西武商店」は、東京から鹿児島に至る本舗の数十種に及ぶ製品を
取り扱い販売していましたが、『改源』がその中心となっていき、
やがてはその『改源』が社名にまでなったのだそうです。
ちなみに「改源」の語源は中国の孟子の言葉
「幟然として改め」「源源として来る」からの引用で、「日々新た又新た」
「毎日が開闢(かいびゃく)毎日が天地・世界の始め」という意味です。
改源のテレビCMといえば「かぜひいてまんねん」の風神雷神さん。
デビューは昭和57年でした。
現在は大阪・北浜の道修町に本社をおいてはりますね。

かぜはひかないように気をつけるのが一番。そしてひき始めが大切です。
自分にあったお薬を見つけておきたいものですね。
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♪今日のオンエア楽曲♪
1. 歌ウサギ / スピッツ
2. ガラスの十代 / 光GENJI
3. Walk This Way / Aerosmith
4. 泣かせて大阪 / 山口 かおる