ラジオ大阪開局60周年 真っ赤に燃えろ!情熱ラジオ
  • ラジオ大阪の歩み

    昭和33年(1958年)
    7月1日 午前5時30分 JOUF 1380KC 3kwで本放送開始
    7月1日 名物番組「悩みの相談室」【回答者/融紅鸞(トオル コウラン)】開局と共に スタート
    10月2日 街頭リクエスト番組「大阪アンテナ」スタート
    昭和34年(1959年)
    4月1日 深夜番組「アナウンサーコーナー」(月曜日~日曜日午前0時台)スタート。
    ラジオ大阪男性アナウンサー総出演で深夜のラジオがゴールデンアワーに!
     
    6月14日 文化放送をキー局に、全国ニュースネットワーク「ニュースパレード」スタート  
    8月1日 呼出符号を「おおさかほうそう」から「らじおおおさか」に変更  
    10月1日 出力が3kwから20kwへ増力  
    昭和35年(1960年)
    3月6日 大相撲春場所実況中継放送開始
    5月3日 「プロ野球ナイター中継」開始
    10月5日 公開録音番組「蝶々さんどないしよう」スタート  
    昭和36年(1961年)
    1月1日 ラジオ大阪の歌(OBCソング)放送開始。
    全国初のステーションPRソング誕生。
    作詞/野坂昭如、作曲/いずみたく、歌/北野路子。
    このときの歌詞は“1380 OBC♪”でした。
     
    9月16日 台風18号(第二室戸台風)のため、堺送信所のアンテナ倒壊。翌日、仮アンテナで放送開始。
    12月24日にアンテナ復旧工事完了。
     
    9月22日 秋田実書き下ろし「漫才バラエティー」スタート  
    昭和37年(1962年)
    3月20日 音の出るCMコンクール実施。一般公募で4000通の応募有り。
    9月27日 「第一回OBC女性のつどい」サンケイホールで開催
    10月1日 「悩みの相談室」の回答者、融紅鸞さんに大阪府知事より感謝状
    昭和38年(1963年)
    4月1日 大阪府警交通情報センターに放送設備完成  
    8月1日 定時ニュース以外に、ワイド番組内のスポット・ニュース放送開始  
    昭和39年(1964年)
    4月2日 阪神百貨店の正面1階に、大阪で最初のサテライトスタジオ開設
    10月10日 東京オリンピック中継特別番組放送  
    昭和40年(1965年)
    4月1日 全国初のシンギング・コールサインをオンエア  
    5月3日 全国ラジオ・ネットワーク(NRN)発足。  
    8月1日 朝のワイド番組「7時です!ハイスタート」開始。関西各局に先け午前7時台を生ワイド化。
    異色のタレント木崎国嘉(大阪日赤病院内科部長)の誕生。
    昭和41年(1966年)
    4月9日 上方漫才大賞制定。第一回発表会を実施。 大賞はかしまし娘。
    5月30日 夜のサテスタ番組「OBCプレイ・ザ・ヤング」スタート
    12月5日 大阪地区では最初のオールナイト放送「オーサカ・オールナイト夜明けまでご一緒に」開始  
    昭和42年(1967年)
    2月4日 ラジオで初の土曜半ドン編成「遊べ半ドン!歌え半ドン!」開始  
    昭和43年(1968年)
    8月1日 大阪管区気象台に専用スタジオ設置  
    10月7日 1000台の無線タクシーの協力を得て、大阪の街の動きを伝える「ニュースパトロール1000台応答せよ」スタート
    昭和44年(1969年)
    4月1日 同窓会や結婚式に寄席を出前する公開録音「出前寄席」スタート。 初代出前持ち(司会)は笑福亭鶴光
    7月15日 羽衣ボウルに第二のサテライト・スタジオ設置  
    昭和45年(1970年)
    3月14日 アジアで初めて開かれた日本万国博覧会、大阪万博の開会式を 全国中継。
    4月1日 ヤングに大人気を博した深夜の生番組「ヒットでヒット・バチョンといこう」スタート。
    昭和46年(1971年)
    11月1日 50kwに増力。周波数1310kHzに。
    新OBCソング「ちいさなひとこと」オンエア。
    作詞/伊藤アキラ、作曲/小林亜星
     
    12月11日 第三のサテスタ、心斎橋パルコに開設
    同時に「カットジャパン1310」を公開放送
     
    昭和47年(1972年)
    10月2日 異色のエコロジー番組グリーンレポート「阿部牧郎とその一味」スタート  
    昭和48年(1973年)
    8月3日~5日 開局15周年記念OBCまつり「うたえ!太陽の夏」万博記念公園で開催。入場者30万人を記録。
    昭和49年(1974年)
    7月1日 脱ヤングの深夜番組「オーサカナイトスペース」スタート
    昭和50年(1975年)
    10月5日 ニュース番組「こちらOBC報道部です」スタート  
    12月20日 聴取者参加のコールサインを募集。1000通を超える応募。  
    昭和51年(1976年)
    12月24日 「目の不自由な方へ通りゃんせ基金を」
    第一回ラジオ・チャリティ・ミュージックソン実施
    昭和52年(1977年)
    2月5日 上方漫才大賞と連動の番組「上方漫の道」スタート  
    4月5日 プロ野球実況中継週5日でスタート  
    昭和53年(1978年)
    4月9日 ヤングの本音番組「鶴瓶と新野のぬかるみの世界」スタート
    7月1日 開局20年記念24時間生放送の特別番組「ラジオって何」放送
    11月23日 国際規定に基づき、中波放送の周波数を一斉に変更。 ラジオ大阪は1314kHzに。  
    昭和54年(1979年)
    5月5日 国際児童年協賛12時間特番「ちびっ子集まれ!OBCこども放送局」放送  
    7月28日 第1回「JAMJAMスーパーロックフェスティバル」万博お祭り広場で開催。
    昭和55年(1980年)
    3月14日 国際障害者年協賛「オールスター上方漫才マラソン」サンケイホールから4時間の生放送  
    5月10日 「鶴瓶と新野のぬかるみの世界」新世界ツアーに大反響。 リスナー5000名以上が参加。
    昭和56年(1981年)
    2月5日 深夜番組「鶴瓶と新野のぬかるみの世界」を単行本で出版。 1週間後、早くも10万部に増刷。
    10月5日 100人の高校生が作る番組「OBCヤングラジオ」スタート  
    昭和57年(1982年)
    1月24日 大阪国際女子マラソン、ラジオ独占完全中継  
    3月19日~23日 在阪ラジオ3社共同キャンペーン
    「ABC、MBS、OBCラジオ祭り」なんばCITYで開催。
     
    10月10日 「築城400年マイナス1 久しぶりに大阪城へ行ってみよう」
    大阪城公園西ノ丸庭園にリスナー1万人が集まる。
    昭和58年(1983年)
    4月1日 ステーションイメージの統一を図るため、ステーションカラーを 一新。キャッチフレーズも「ラジオは真っ赤に燃えている~ラジオ大阪ただいま25才」
    10月9日 大阪21世紀計画開幕記念第1回「御堂筋パレード」多元中継
    11月23日 3時間特番多元生中継「母なる河・淀川は生きている」淀川おもしろウォーク、リスナー1万人が集まる  
    昭和59年(1984年)
    4月24日 在阪AMラジオ3社初の共催「大阪が大好きラジオまつり」開催  
    11月3日 「大阪見直しどんどんウォーク」およそ5000名が参加  
    昭和60年(1985年)
    1月25日 「曾野綾子の今日を生きる」でローマ法王パウロⅡ世から小林啓二社長に感謝状が贈られる。(写真はハヤット神父から感謝状を受ける小林社長)
    8月30日 阪神サテライト・スタジオ撤収。22年に及ぶ歴史に幕。  
    昭和61年(1986年)
    5月18日 OBCさわやかハイキング。吉野山にリスナー8000人が参加。  
    7月16日 ラジオ・チャリティ・ミュージックソンの10年にわたる放送 活動に民放連金賞。  
    昭和62年(1987年)
    11月8日 「抱きしめてBIWAKO」。重症心身障害児施設「びわこ学園」の移転費用寄付呼びかけに賛同し、キャンペーンを展開。近江舞子を中心に湖畔を22万人の手で囲む
    11月22日 主な番組の出演者が大阪城西ノ丸庭園に結集して「OBC番組フェスティバル」開催。リスナー2万人が集まる。  
    昭和63年(1988年)
    5月22日 開局30周年記念「LOVE 遊-淀川、おかえりなさいサツキマス」展開
    7月1日 開局30周年特別番組「いまからわくわく夢未来」16時間30分の生放送実施。  
    平成元年(1989年)
    1月7日 昭和天皇崩御。
    午前7時55分、総理官邸からの正式発表と同時に追悼特別番組を開始。
    9日午前6時まで、46時間にわたる開局以来最長の特別番組となる。
     
    5月21日 「LOVE 遊-淀川キャンペーン」で、小学校へ水槽贈呈。一連のキャンペーンが大阪市立小学校5年生の道徳副読本に取り上げられる。
    10月19日 球史に残る川崎球場での8時間に渡る「近鉄-ロッテ戦」の熱闘を完全生中継。  
    平成2年(1990年)
    3月5日 交通情報の本数が188本と全国一に。  
    5月1日 「国際花と緑の博覧会」で在阪民放ラジオ5社がFMイベント放送局「FLOWER STATION」開設
    平成3年(1991年)
    9月23日 優勝のからむパ・リーグ「西武-近鉄戦」特別中継。 85%の占拠率。  
    10月13日 「燃える秋、飛鳥ウォーキング」リスナー3000人が集まり 大盛況
    平成4年(1992年)
    7月27日 「バルセロナ・オリンピック」民放ラジオ86社が統一共同放送  
    9月22日 25年間放送した「ダイヤル119」に大阪市消防局から表彰状  
    11月25日~29日 開局35周年・西鶴没後300年記念「みゆうじかる西鶴」新神戸オリエンタル劇場で8公演実施。  
    平成5年(1993年)
    3月29日 弁天町へ社屋移転。
    午前5時、弁天町の新本社スタジオから「こんにちは弁天町」ステレオ放送開始。
    4月5日 近鉄バファローズのナイターを全試合中継。  
    9月25日 小松左京氏の監修で、国際シンポジウム「国際河川シンポジウム~RIVER FORUM」開催。  
    平成6年(1994年)
    7月4日 吉本興業との共同制作の新ワイド番組「ラジオよしもと~サブローリンゴのむっちゃ元気」スタート
    9月4日 関西国際空港開港特別番組「飛んで遊んで食べて~関空びっくり箱」放送  
    平成7年(1995年)
    1月17日 午前5時46分、阪神淡路大震災発生。地震発生直後から39時間46分にわたる報道特別体制で放送  
    9月1日 関西AMラジオ5社で組織する「AMラジオ災害問題協議会」でラジオが震災時に果たした役割について検証する特別番組「神戸発命のラジオ」を放送。  
    平成8年(1996年)
    8月10日 ラジオ大阪、KBS京都、和歌山放送、ラジオ関西の4社で結成したネックレス4による特別番組を道の日に合わせて放送  
    12月7日 「國府田マリ子のGAME MUSEUM」の番組本が主婦の友社から発売。55,000部を販売するヒットとなる。
    平成9年(1997年)
    2月6日 ラジオ大阪のホームページを開設  
    4月1日 京都方面の難聴問題を解消するため、初の中継局となる京都中継局をラジオ大阪、MBSラジオ、ABCラジオ共同で運用開始。
    10月1日 アニメ&ゲーム関連番組を「1314V-STATION」としてゾーン編成開始。  
    平成10年(1998年)
    7月20日 開局40周年記念特別番組「21世紀どうなる大阪」を辰巳琢郎氏をメインパーソナリティに迎え10時間にわたり放送
    平成11年(1999年)
    4月16日 上方漫才大賞が関西テレビとの共同主催となる  
    平成12年(2000年)
    7月30日 「OBCブンブンリクエストスーパーLIVE2000」をりんくうタウンで開催
    10月2日 ステーションキャンペーンとして「なくしまひょ!ひったくり」を開始  
    11月5日~11日 アメリカ大統領選挙取材のため、原田年晴アナウンサーをワシントンに派遣。
    ラジオの単独取材が大きな話題となる。
     
    平成13年(2001年)
    8月25、26日 人気マンガをミュージカル化した「ミュージカルHUNTER✕ HUNTER」を開催  
    9月26日 大阪近鉄バファローズが劇的な代打逆転サヨナラ満塁ホームラン でリーグ優勝を決定。この模様を放送時間を延長して完全実況中継。  
    10月6日 「鶴瓶・新野のぬかるみの世界」がインターネットの有料コンテンツとして限定復活  
    平成14年(2002年)
    8月11日 番組「ゆる蔵、うれしいね」の企画から生まれた映画「EAT&RUN」の上映開始。東京と大阪で5000人を動員し、DVD化されると共にテレビ局数局でも放送された。
    11月~ 開局45周年企画として、毎月1回パーソナリティとリスナーがふれあう「マンスリーツアー」を12回実施。  
    平成15年(2003年)
    7月1日 開局45周年記念特別番組「みんなの健康宣言」を10時間にわたり放送。  
    9月25日 開局45周年記念として大阪にまつわる32曲を収録したCD、カセット「あなたが選んだ大阪の歌~バンザイ歌謡曲から歌謡曲これイチバン」を発売。
    平成16年(2004年)
    9月24日 28年間にわたり放送してきた「近鉄バファローズナイター」終了  
    平成17年(2005年)
    1月26日 産業経済新聞社が筆頭株主となり、フジサンケイグループの一員となる  
    6月30日 日本民間放送連盟賞において、生ワイド部門「NEWSワンダーランド」、教養番組部門「日本初の私鉄電車と松本重太郎」、報道番組部門「戦後60年特別番組〜足が生えてこなかった」3部門同時に地区代表作品に選出される。開局以来初めての快挙。  
    11月24日 新しいステーションコンセプトとして、素敵に歳を重ねましょう、を合い言葉にした「アンチエイジング・ステーション」を掲げる。
    平成18年(2006年)
    1月30日 45歳以上の女性限定のラジオ大阪のファンクラブ「大満開ファンクラブ」結成。
    平成19年(2007年)
    8月3日 夕刊フジと共同で、京阪神の渋滞回避マニュアル本「宝塚トンネルってなんで渋滞するねん」発売
    10月1日 開局50周年事業を開始。キャッチフレーズは「究極のアンチエイジング、それはスマイル」  
    平成20年(2008年)
    6月9日~13日 開局50周年記念特別番組の5時間の特別番組を5日間にわたり放送。
    8月13日~22日 北京オリンピック放送で野球中継を独自編成  
    平成21年(2009年)
    2月2日 緊急地震速報運用開始  
    7月20日 開局記念特別番組「チャンス・チェンジ・チャレンジ」放送  
    平成22年(2010年)
    3月1日 「ニコニコラジオ大阪チャンネル」スタート  
    3月15日 ラジコ配信開始
    3月31日 「NAMBAなんなん」と「あべちか」の地下街でもラジオが 聴けるようになる。
    平成23年(2011年)
    3月23日 ラジオ大阪の新イメージキャラクター「弁天R.シスターズ」活動開始
    平成24年(2012年)
    8月17日 弁天R.シスターズ、港区の広報大使に任命  
    8月24日~12月14日 NHK・民放連共同ラジオキャンペーンin大阪「ラジオにタッチ」スタート。小栗旬と蒼井優のラジオドラマなど多彩な展開を実施し、12月14日のNHK大阪ホールでイベントで終了。
    11月26日 リスナーからの出資を募って展開するぱとろんOBC企画「國府田マリ子・南かおりのブンブンGM」開始。  
    平成25年(2013年)
    4月~ 新ステーションキャッチ「ハッピーエイジング・ステーションOBC」に
    7月15日 開局55周年記念「ラジオの力 新発見!~おとなの文化祭~」実施。
    平成26年(2014年)
    4月~ 有料サービス、ラジコプレミアムがスタート。全国でラジオ大阪が聴けるように。  
    7月1日 東京支社、南青山へ移転  
    7月21日~26日 「ほんまもん!原田年晴です10年間ほんまにありがとうウィーク」特別編成とイベントを実施
    平成27年(2015年)
    1月17日 阪神淡路大震災から20年。特別番組「あの日を忘れない~阪神淡路大震災から20年」放送
    4月4日 第50回上方漫才大賞発表会開催。
    7月27日 FM補完中継局(ワイドFM)の予備免許交付  
    10月30日 「司馬遼太郎短編傑作選」アマゾンで有料配信開始  
    平成28年(2016年)
    2月29日 FM補完中継局(ワイドFM)本免許交付。
    ラジオ大阪/藤川貴央アナウンサー、MBSラジオ/玉巻映美アナウンサー、ABCラジオ/乾麻梨子アナウンサーの3人の若手アナウンサーが集まりワイドFM大使を結成。PR活動開始。
    3月19日 正午からFM91.9MHzでワイドFMの本放送開始。 道頓堀角座でラジオ大阪、MBSラジオ、ABCラジオ共同の 開局イベント「まいど!ワイドFM今日から“えぇ音”きかせます 」実施。
    10月11日 ラジコの新機能、ラジコタイムフリー、シェアラジオがスタート
    11月23日 30回記念OBCラジオまつり10万人のふれあい広場を、会場を拡大して実施。

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